「借りても返さない(5)」(2025年05月21日)

奇妙なのは将軍という言葉がインドネシア語でjendral/jenderalになっていることだ。ヨ
ーロッパ語に由来しているのは間違いないにしても、オランダ語generaalヘネラルや英語
・フランス語・ポルトガル語のジェネラル、スペイン語のヘネラルなどのように、/jend/
という音を含んでいるものがヨーロッパ語の中にひとつも見当たらないのである。いった
い/d/音はどこから混じりこんできたのだろうか?

音オリエンテーションの高い時代にこの言葉が入ってきたと推測されるためにオランダ語
やスペイン語由来だったとは思えず、 歴史の流れから見るならポルトガル人の発音が真
似られたのではないかと想像されるものの、果たして16世紀のポルトガル人は「ジェネ-」
という部分の発音の中に/d/音が混じったような音を口から発していたのだろうか?マルク
人かジャワ人かよくわからないが、少なくともヌサンタラのプリブミの複数人がその発音
の中に/d/音を聞いた可能性がこの事例から感じられるのである。


植民地時代にバタヴィアレシデン統治区で、ブタウィ人社会の行政秩序統制を図るために
地域単位の行政機構が作られた。オランダ人はその最高責任者をcommandantと命名したの
で、ブタウィ人はkumendanと発音した。コマンダンは12人の副官を自分の手足として使
う。オランダ人は副官をadjudantと呼んだので、ブタウィ人もajidanと呼んだ。末端庶民
の居住部落であるカンプンには長がいて、それぞれが自分のカンプンを統率している。

ブタウィのアジダンはカンプンの長を直接監督し指導した。カンプンの長をインドネシア
人はたいていkepalaとかketuaなどと呼んでいるが、ブタウィのレシデン統治機構の中で
カンプンの長はbekと呼ばれていた。ブタウィ人はベッと呼んだが、オランダ人はその役
職をwijkmeesterと呼んでいた。ヴェイクメーステルがベッになったのか、それともベッ
の元になった言葉が別にあったのかはよく分からない。ヴェイクメーステルがベッに変化
したとしても、わたしにはありえるような気がするのだが。

     
英語のtheの重厚さを取り入れようとして、インドネシア人はd'の形でそれをまねている
という情報がイ_ア語ネットの中に見られる。文字形式の点からはオランダ語deを連想さ
せるものの、インドネシア人が今さらオランダ語を手にするだろうかと考えるなら、英語
theのパロディではないかと考える方が、妥当性が高いように思われる。英語話者の訛っ
た発音にもthe moneyをda moneyと言うようなケースがあることから、その現象がインド
ネシア人の好みにも合致したにちがいあるまい。

特にロック音楽の世界でD’Massiv, D’Bagindas, D’Cinnamonsなどといったサンプルを
見ることができる。似たような形式の屋号を掲げているワルンもちらほらと街中で見かけ
ることができるだろう。D'Gourmet, D'Art, D'Beauty, D'Home・・・・

日本人の舌と同じように、インドネシア人にも[θ,?]の発音は難物なのである。
インドネシア人が[θ,?]の音を[t,d]の異音にしたのは日本人の反応と明らかに異なって
いる。世界の潮流は[t,d]の方が高い傾向にあるのではないだろうか。

日本で誰が行ったのかよくわからないものの、日本の古碩はそれを[s,z]の異音にした。
そのためにわれわれはその習慣に慣らされてしまって、[θ,?]の音を耳が素直に聞き分け
ようとせず、脳が勝手に[s,z]に転換してしまうのである。見方によっては、この感性の
誘導は一種の洗脳現象に類似していて、わたしにはたいへん恐ろしいものであるようにも
感じられる。[ 続く ]