「大郵便道路(110)」(2025年05月22日)

インドネシア共和国の時代になって、インドネシアで最初のセメント工場がグルシッにオ
ープンした。続いてアスファルト工場、肥料工場、液体アンモニア、硫酸等々、さまざま
な工場がグルシッで立ち上げられた結果、グルシッ県の面積が狭くなっていった。それら
の工場が建てられた郡がスラバヤの行政区画に移されたために、面積ばかりか県の収入も
小さくなった。

グルシッの関連で面白い内容の記事があったので、残念ながら大郵便道路とはまるで縁の
ない内容ではあるものの、ご紹介したい。古いジャワの慣習と日本の伝統慣習がこれほど
似ているのかというお話だ。

グルシッ県ムガンティ郡プガラガン村はスラバヤ市内からまっすぐ西に14キロほど離れ
た農村地帯の真っただ中にある。2014年9月の日曜日、村の鎮守の広場でスドゥカブ
ミが営まれた。村人が全員参加して祝う村の大祭である。

祝祭に欠かせないトゥンパンやおかず類、果実や他の収穫物を持って村人が集まり、大地
を支配する祖霊と宇宙を支配する神に感謝の祈りを捧げる。礼拝を指揮するのは村人が信
仰する宗教の長たちだ。総数およそ4千人の村民は3千人がイスラム教徒、1千人がヒン
ドゥ教徒であり、各宗教の作法に従って、収穫が増えるように、いつも健康で安全な暮ら
しを営めるように、と祈る。

食事を終えると、小編成のガムラン演奏とロンゲンの歌舞が始まる。願をかけて結果が出
た村人たちが集められ、そのひとびとは歌舞に合わせて小銭をばら撒く。子供の病気が治
るように、大学が卒業できるように、就職できるように、夫が昇進するように・・・。誓
願成就した者は、そのお返しを世間にしなければならないのである。

大勢の子供たちがばら撒かれるコインや小額紙幣を奪い合うようにして拾う。おや、中に
は大人の姿も混じっている。だがしかし、そこで撒かれるお金を自分の欲のためにしまい
込むことは許されない。撒く人間の善意がしみ込んだお金は、世の中にとっての善のため
に使われなければならない。そのお金を奪い合うのは、お金にしみ込んだ善に触れること
が目的なのである。だから子供たちの中にも、自分がどれほどの金額を集めたかなどと数
えたりしない者が少なくない。みんながその金を村民同士の助け合いのために寄付するの
だから。

スドゥカブミの最後を飾る催しが村役場の前にしつらえられたリングで行われる。そう、
最後を飾る催しとは相撲大会なのだ。5x6メートルのリング上で、勝負したい子供同士、
男同士、女同士の格闘が行われる。倒されたら負けという簡単なルールで組打ちが行われ、
審判が勝者敗者を決める。両者が組み合ったまま動かなくなると、審判はふたりを離そう
とする。そのときにどうしたはずみか、審判が転ぶことがある。すると見物席から拍手喝
さいが湧き上がる。

女の勝者には賞金10万ルピア、敗者には5万ルピア、男の勝者は5万ルピアと服、敗者
は2万ルピアとスポンサーからのTシャツ。これは優勝者を決めるような性格のものでな
くて、単に村民同士の親睦を目的にしているのだという村役の説明だった。つまり一度勝
った者はもうだれとも対戦しないのだ。勝ち抜き戦ではないのである。

この相撲はokolと呼ばれている。オコルはグルシッ・スラバヤ・マドゥラの伝統式格闘ゲ
ームで、9百年の歴史を持っている。元々の発端は牛飼いの少年たちが草原で遊びのひと
つとして押し合いゲームをしていたのに由来しているという話で、そのうちに乾季が終わ
ったにもかかわらず雨が降らない年に、雨乞いの儀式として行われるようになり、更にス
ドゥカブミでも催事のひとつに取り上げられるようになった。[ 続く ]