「借りても返さない(終)」(2025年05月23日)

マレーシアでは英単語の発音がそのままマレーシア語になり、その音をマレーシア語の表
記法に従って文字化していることが明瞭に見て取れる。一方のインドネシアでは、マレー
シア方式の摂取もあれば、接尾辞がインドネシア語化調整されているものも少なくない。
吸収した外国語をインドネシア語のように扱うというインドネシア学術オーソリティの表
明がそんな点にも表れているようだ。

もしもマレーシア方式をpinjamと呼ぶのであれば、インドネシア人がしていることはピン
ジャムを乗り越えた内容になっているのだから、マレーシアと同じピンジャムという言葉
を使うと内容の差異が感じられなくなるという理屈も間違ってはいないと思われる。

ならばインドネシア人の借用語に対する姿勢は、インドネシア語の諸原理に沿ったものに
する、つまり自家薬籠中の物にするという優れた扱いを追求しているという理由で、理想
的な姿になっていると言うことができるのだろうか?


パスンダン大学文学芸術学部教官テンディ K スマントゥリ氏は、理想的どころか実態が
本質から逸脱している点を批判している。理屈がどうあれ、人間がやっていることは理屈
通りになっていないことの方が多い、というのが人間世界の現実なのである。テンディは
こう書いた。 

インドネシア語使用者は、標準インドネシア語彙に接尾辞-isasiを付けて頻繁に新語を作
る。そのような新語は冗談やおふざけで一般庶民が行う場合はたいした問題にならない。
たいていすぐに消えてなくなるか、それとも非標準的インドネシア語として残るくらいも
のものだ。ところが残念なことに、高位高官たちがおかしな新語を作ってくれるのである。
そして言語の問題にたいして関心を持っていないマスメディアがその奇妙な新語を世の中
に拡散させる。rayonisasi, kaderisasi, betonisasi, pompanisasi, pipanisasi, 
merealisasikan, menyosialisasikan, pengaktualisasian....

術語の作り方を定めたPedoman Umum Pembentukan Istilahには、外国語の接辞をインドネ
シア語にする場合は接辞の付いた形態の語彙をそのまま摂り入れる、と記されている。つ
まりインドネシア語オリジナル単語に-isasiをはじめ、その他の西洋語由来の接辞を付け
るのは決まりに反しているということなのだ。だからインドネシア語使用者は人気の高い
接尾辞-isasiを単語に付ける場合に注意しなければならないのである。

たとえば上の例の中のrayonやkaderは英語にもオランダ語にもrayonやcadreという語があ
る。ところがrayonisation/rayonisatieやcadresation/cadresatieという形の語彙はどこ
にも存在しない。ということは、rayonisasiやkaderisasiはインドネシアの高位高官たち
が作った新造語であり、そしてもっとものすごいのはKBBIがそれらを見出し語として
採リ上げていることだ。

マスメディアによく出現するもっと奇妙なものにbetonisasi, pompanisasi, pipanisasi, 
bronjongisasiなどがある。インドネシア語にはそのような意味を表す普通の言葉として
perayonan, pengaderan, pembetonan, pemompaan, pemipaan, pembronjonganなどといっ
た表現があるというのに、-isasi愛好者国民は実にたくさんいるようだ。

merealisasikan, menyosialisasikan, pengaktualisasianなどの形は、語形成に一貫性の
ないダブルプロセスが行われた結果できあがったものだ。sosialisasi, aktualisasi, 
realisasiはpemasyarakatan/pengumuman, pengaktualan, perwujudanに対応する変化形な
のである。にもかかわらず、いったいどのようにしてme-kanというコンフィックスをそこ
に上乗せして付けようと言うのだろうか?

merealisasikan, menyosialisasikan, mengaktualisasikanという形がmemperwujudkan, 
mempermasyarakatkan, mengaktualisasikanと同じものになると言うのであれば、何が楽
しくてそんなややこしいことをしたいのだろうか?そんな複雑な手数をかけて言葉をひね
くり回すよりもmewujudkan, memasyarakatkan, mengaktualkanを使う方がはるかにシンプ
ルで簡単なのではないのだろうか?

もしも言葉がたいへん高価なものであったなら、間違いなくイギリス人もオランダ人もイ
ンドネシア政府に厳重な抗議を申し入れるにちがいあるまい。かれらにとっては、外国語
彙の変化形をkata pinjamanとして扱うマレーシアのような姿勢の方が賢明で好ましいは
ずだ。penyerapanを行って自分のものにした上で、それを好き勝手に扱うやり方をする国
よりも。 [ 完 ]