「元恋人が友人になる?(後)」(2025年05月25日)

友人が物語るその言葉を聞いたわたしの思考が一瞬止まった。「友人?何の友人なの?」
わたしは自分の体験をかれに物語った。わたしがはじめて好きな女性に対面したとき、わ
たしはパチャルを求めていたのだ。異性の友人を求めていたのではない。パチャラン関係
が終焉した時から友人関係が始まるだって?目的が違うじゃないか。靴が必要になったと
き、それが手に入らないからバッグを買う?そんなことはあり得ないだろう。パチャラン
関係を解消したから友人関係になるなんてどうかしている。大間違いだ。

友人になるというのは、恋愛関係が途中で行き詰まったからその代替としてそうなるとい
うものじゃない。そうやって交際を引き延ばしたところで、相手が自分にとっての本当の
友人にならなかったらどうする?もうそれ以上付き合わないことだ。こんなことを言うわ
たしは人間としての情を持っていないと断罪されるだろうか?

じゃあ、もうちょっと寛容的になろう。元恋人が友人になったとして、どんな関係の友人
になるのだろうか。パチャラン時代に相手の性格や習慣をもうお互いに知り尽くしている
はずだ。何を相手に与え、何を相手から求めるのか?パチャラン時代にそれはもうトライ
済みなのではなかったか?光り輝くような成果が友人関係になったふたりの間に果たして
生まれるのだろうか?もしも友人という言葉が自分にとっての建設的な友人でなくて、そ
の他大勢の顔見知り友人のひとりですという内容なのであれば、もう何も言うことはない
のだが。


わたしと友人の電話での会話はそんなものだった。一方、SMSメッセージはわたし自身
のために活用するべきもののようだ。実践できるかどうかは保証の限りでないにしても。

だれかを愛するということは、関係の最初からフルパワーで取り組むべきものではない。
そんなことをすれば長い道程の中で燃料切れを起こし、愛を培うことが困難になる。愛の
道程というのは百メートル競走でなくてマラソンなのだ。

上で示したように、他人への忠告をわたしは上手に行える。ところが、自分自身の恋愛生
活となると、わたしは失敗者でしかない。わたしは長距離ランナーから学ばなければなら
ないようだし、ラクダからも学ばねばなるまい。ラクダは暑い砂漠で生きている。わたし
の恋愛も時に砂漠のようになる。暑く、潤いのないものに。だがわたしはそこにとどまら
なければならないのだ。ラクダにはそれができる。わたしにだってできないはずはあるま
い。[ 完 ]