「借用語の作り方」(2025年05月26日) ライター: インドネシア大学医学部医学用語検討委員会メンバー(元)、V スタルモ ・ステイアジ ソース: 2016年8月6日付けコンパス紙 "Kaidah dan Istilah Asing" 外国語由来の語彙を借用語にして摂りこむ際に使われる法則がいくつかある。政府が決め たもの、個人の好み、昔からそうなっているというもの等々。残念なことに、インドネシ ア語が本来持っている法則はあまり使われていない。 昔、外国語由来の学問分野の名称を作るとき、政府の決めた法則があった。たとえば語尾 が-csになっているものは-kaに替える。physics, mathematics, mechanicsなどはfisika, matematika, mekanikaになる。ところが、この法則に従わないものもいろいろと作られた。 ekonomicsやstatisticsはekonomika, statistikaになるはずであり、かつてはそれを使う ひとびとがあったというのに、だんだんと使われなくなって今ではekonomi, statistikが 流通している。 universitas, kualitas, realitasのように、英単語の語尾が-tyの場合は-tasに替えて借 用語にする法則が昔は使われていた。しかしrealitaやkuantitaを好んで使う者もまだま だいる。 外国語彙の語尾が-calの場合、政府の決めた法則では-isに取り換えられる。そうすると medicalはmedisになる。ところがそれに従おうとしないものも数えきれない。biomedical の対応語はbiomedis, biomedika, biomedikと百花繚乱のありさま。使用者はそれぞれが 自分の根拠を主張している。 わたしが1976年から1994年までメンバーを務めたインドネシア大学医学部医学用 語検討委員会では、言語学者アントンMムリオノから生物学用語について指導を受けたこ とがある。その種の専門用語を作る代替方法としてインドネシア語本来の方法を使うこと ができるとかれはアドバイスした。インドネシア語においては、本来的に名詞である語彙 は、一部を変形させたり何かを付け加えることなしに、そのまま形容詞や修飾語になるこ とができるとかれは言う。 たとえばmeja kayuとはmeja dari kayuのことだ。壊れた机を分解していくつかの木材が 得られたなら、その木材はkayu mejaになる。kayu yang asalnya dari mejaということだ。 同じような現象はたくさんの複合語で応用できる。biru langit, langit biru, biru bemo, bemo biru ..... アントンMムリオノの考えでは、ある外国の語彙がインドネシアの借用語として認められ た場合、その借用語はインドネシア本来の語彙と同じように扱ってかまわない。molekul という語彙はもうインドネシア語として認知されているので、わたしがインドネシア大学 医学部で分子生物学モジュールの部門長を務めたとき、部門名をmodul Biologi Molekul と決めた。ところが後任の部門長はその名称をmodul Biologi Molekular/Molekulerに変 更したのである。どうやらBiologi Molekulを不適切でおかしな表現と感じているひとが 少なくないようだ。英語あるいは西洋語の香り漂う表現のほうが正当でカッコよいと思う のだろう。それはインドネシア語に対する蔑視ではないだろうか? 多数の人間にとって外国語由来の専門用語を口にすることは口真似以外の何物でもない。 口真似とわたしが言っているのは、あまり意識することなく寝言のように口に出すことだ。 昔、WHOをウェーハーオーと発音したプロフェッサーがいた。もちろんみんながそう発 音していたのだから、おかしなことなど何もない。ところがその教授は同時にICCUを アイシーシーユーと発音した。そのときわたしがそれについてイーチェーチェーウーと発 音すると、その教授はわたしを笑った。 イギリス人はインドネシア語の省略語をかれらの読み方で発音している。英語の省略語を 発音するときと同じようにしているのだ。わたしはいまだに、インドネシア人がエルピー ジーとLPGを発音していることに不愉快さを感じている。どうしてインドネシア語発音 に従ってエルペーゲーと発音しないのか? 外国語で術語の意味を持たされて使われている語彙をインドネシア語に替えたものも考慮 する必要がある。統計学で使われているsignificantはbermaknaというインドネシア語訳 がなされた。bermaknaという語彙はsignificantの対応語として統計学の中でのみならず、 一般の日常会話の中でも使われているというのに、あまり社会化がなされていないために ピント外れの傾向が見られる。 インドネシア語が学術用語になり、またインドネシア的な個性を持つ言語になることをす べてのインドネシア国民が望んでいるとわたしは思っている。インドネシア的な個性とい う意味は言語に関する諸法則が正しくまた責任を持って適用されている状態を指している。 国語センターにせよ国語庁にせよ、インドネシア語行政機関の業績が期待されているので ある。インドネシアの国語行政機関がこれまであったのかなかったのか、わたしは知らな い。どんな活動をし、どんな業績をあげたのかという話を聞いたことがないのだから。