「大郵便道路(114)」(2025年05月26日)

それから20年くらいの間にスラバヤから南部に伸びる鉄道線路に沿って、トゥンジュガ
ン・シンパン・ダルモ・グブン・サワハン・クタバンなどの経済と居住のセンターが形成
され、住宅地区が南へと広がっていった。

そのころ、スラバヤの住民にとってカリマスは重要な交通路であり、また慰安のための場
所にもなっていた。ひとびとは小舟で川を上り下りし、あるいは恋人たちがベニスのゴン
ドラよろしくギターを奏でながら歌い、ロマンチックな雰囲気に浸って夕陽を眺めた。プ
リブミ住民もオランダ娘たちも小舟に乗って川沿いの食事処に漕ぎつけ、あるいはカヨオ
ンの花園で色とりどりの花を愛でた。

小舟に野菜を積んだ野菜売り、果実を積んだ果物売り、あるいは衣服や布、装身具、それ
とも雑貨品・・・。東南アジアで、物売り舟が澄んだ川に浮かぶ姿は町を流れる川を持つ
都市の共通の姿だった。現在のカリマスにそんな光景は望むべくもない。


クンバンジュプンという地名は植民地時代から使われていたものの、単なる俗称でしかな
かった。植民地時代にその通りはHandelstraatが公式名称だった。ところがプリブミはそ
の長さ約7百メートルの通りと周辺地域一帯およそ2.5平方キロをクンバンジュプンと
呼ぶようになり、共和国独立後その名称が道路の公式名称にされた。

kembangはムラユ語源で花を意味しているが、元々は花開くことを指していたようだ。だ
からKBBIでは発展するという語義が第一義になっている。ところがjepunというのは
実に不可解な言葉なのだ。

まずマラヤ半島のムラユ人が、日本という国名の福建語発音を摂りこんでJepun=日本と
いう言葉を作った。現代マレーシア語でもいまだに日本はジュプンと呼ばれていて、日本
国天皇をマレーシア人はMaharaja Jepunと呼んでいる。ちなみに現代インドネシア語でそ
の言葉はKaisar Jepangとなっており、その両者は似ても似つかない。自分の国名がそれ
ほど違っているというのに、インドネシア語とマレーシア語はほとんど同じだと日本人が
言うのはどうなんだろうか。

国名の場合にはイニシャルが必ず大文字になるとはいえ、地名の場合も固有名詞に該当す
るため大文字になるから、Jepunと書かれていても国名に由来しているとは断言しにくい
だろう。

地名でないjepunの場合にkembang jepunとbunga jepunの二種類が登場する。インドネシ
ア語でbunga jepunと呼ばれている花は夾竹桃を指しており、bunga mentegaとも呼ばれる。
ちなみにマレーシア語でその花を示す語彙はanisだ。一方のkembang jepunはスラバヤの
地名があまりにも有名なため、インターネットは植物としての名称をなかなか示してくれ
ない。しかしその合間にbunga jepunのシノニムとして出てくるものもある。

ところがバリ島ではプルメリアの花をbunga jepunあるいはkembang jepunと呼んでいる。
バリ語もbungaとkembangを花の同義語として持っているので、そのどちらかが使われるこ
とになるはずだ。

ジャワ島のひとびとはこのプルメリアを一般にkambojaと呼んでいる。マレーシアでも同
じだ。とは言っても、標準綴りはkembojaになっている。インドネシア語としてはKBB
Iに採録されていないために標準という基準が存在せず、kambojaとkembojaは同義語扱い
されている。ただし傾向としては、kambojaのほうをよく見かける。


さて、スラバヤのクンバンジュプンという地名は何に由来していたのだろうか?植民地時
代のジャワ島に渡ってきた日本人芸者がその由来だという説がたいへんに有力なのである。

明治の開国以来、からゆきさんと呼ばれる日本人出稼ぎ者が大勢海を渡った。そのからゆ
きさんの内容は娼婦がたいへん大きな比重を占めていた。東南アジアの各地にも女性から
ゆきさんが流れ込み、各地にできた娼館を繁盛させた。しかしスラバヤでクンバンジュプ
ンと呼ばれたのは芸者であって、娼婦ではない。とは言うものの、これはホンネとタテマ
エの交錯する部分だろう。[ 続く ]