「大郵便道路(117)」(2025年05月29日) 華人がスラバヤにコミュニティを作ったのは17世紀で、クンバンジュプン・スロンプレ タン・ボンカラン・スムッウタラなどがプチナンになった。アラブ人はもっと後にやって きたからコミュニティはあまり古くなく、カンプンアラブはアンペルモスクを中心にして 形成された。 「各地域の行政官が在留している各人種の居住地区を指定する」と謳ったオランダ東イン ド官報1866年第57号が施行されてwijkenstelselと呼ばれる東インド在留東洋人に 対する居留地制度が開始されると、スラバヤの華人コミュニティはジュンバタンメラの東 側(カパサ・クンバンジュプン・パングン・ソゴユダン・ビビス・ボンカラン)を居留地 に指定された。レシデン官邸の目を行き届かせるのに最適なエリアではないか。 1920年のデータによれば、スラバヤの華人系住民人口は18,020人、アラブ系は 2,539人、その他の東洋人在留者は165人となっていた。 日本軍政期にスラバヤの日本軍は華人社会に慰安婦を用意するよう義務付けたという話が 語られている。スラバヤの戦闘が終わってスラバヤ市内がNICAとAFNEI軍の統治下に 置かれたあと、1946年1月10日から13日まで華人コミュニティで一斉事業ストが 行われた。販売業もサービス業も店舗は開かず、生産も流通も停止した。統治者は大いに 困ったそうだ。 AFNEI軍とNICA行政機構が物資調達に人種差別的な姿勢で臨み、華人相手にわがまま のし放題をし、問題が起これば華人業者をスケープゴートにしていたのに怒った華人コミ ュニティが反抗の一矢を報いた事件がそれだった。 伝統的中華芸能の中に布袋戯と呼ばれる人形劇がある。インドネシアでは福建語に従って ポテヒと発音され、一般にWayang Potehiと呼ばれている。この芸能は移住華人が192 0年代にジャワ島に持ってきたもので、祭礼などの機会に中華寺院で上演されていた。ス ラバヤとジョンバンに根付いたものがインドネシアでは有名になっている。 中国でこの芸能が生まれたのは晋朝の時代で、宋朝期に発展した。由来説話によれば、死 罪の判決を受けて牢獄に送り込まれた5人組のひとりが、死を待つ間嘆き悲しんでもしょ うがないから楽しくやろうと他の意気消沈している4人を誘い、適当な物を使って人形劇 を練習して楽しんだという話になっている。人形使い・語り師・楽隊などを分業したこの 俄か劇団の話が皇帝の耳に入り、皇帝の前で上演したところお気に召したので、その5人 は死罪を免じられた。 スラバヤでポテヒの上演はパベアン地区のチョクラッ通りにあるスラバヤ最古の中華寺院 Hok An Kiong(福安宮)で頻繁に行われていた。この寺院が建てられたのは1820年ごろ だそうで、元々は福建人が新参の同郷者を収容する寮として建てたものらしい。設立年が 1830年となっている情報も多数あって、寮から寺院への用途転換がからんだ差異なの か、単なる誤謬なのかよくわからない。[ 続く ]