「再々・借用語の作り方」(2025年05月30日) ライター: 文学者、シガラジャ在住、スナルヨノ・バスキ KS ソース: 2009年6月26日付けコンパス紙 "Soneta, Balada, dan Talenta" サパルディ・ジョコ・ダモノのKolamと題する詩集についてわたしが書評を書いていると き、わたしのコンピュータはわたしがタイプしたsonetaをsonataに変えた。わたしは自分 のコンピュータの自動綴り字チェックを英語にしている。英語の語彙にはsonataがあるけ れどsonetaは存在しないのだ。 サパルディ自身がsonetという語を自著の中で使っている。その詩集の中にSonet 1あるい はSonet 2などというタイトルを見出すことができる。ウィリアム・シェイクスピアもそ の方法を用いて、自作のソネットにSonnet I、Sonnet II・・・というタイトルの付け方 をしている。 教育文化省発行のKamus Istilah Sastra(Abdul Rozak Zaidan dkk, 1991)では詩のその形 式がsonetaとされており、それゆえにわたしもsonetaを使っている。KBBIですらこの 言葉を標準インドネシア語と位置付けて、14行形式の詩という語義を記している。 原語である英語sonnetの音をそのまま残してサパルディがsonetと書いたことにわたしは 賛同する。Balada Orang-orang Tercintaを書いたレンドラは多分、balaDAとtercinTAと いう押韻の魅力に傾いた結果をそこに示したのではないだろうか。このようなことがらは 言うまでもなく著作者の持つ自由の領域に属している。KBBIにもbaladaはballadに、 talentaはtalentに対応していると述べられているのだ。 われわれのインドネシア語がその種の決まりを守り続けているのであれば、このような事 例は何の不都合ももたらさない。ところがわれわれは、同じような形式であるにも関わら ず違う対応のなされた別の借用語に出会ったとき、迷路に落ち込んで途方に暮れるのであ る。 たとえばinden, paten, laten, konkret, kombat, kabaretなどのサンプルを調べてみよ う。それらの語彙にbalada, soneta, talentaのような形成プロセスが行われていたなら indenta, patenta, latenta, konkreta, kombata, kabaretaとなったはずなのに、実際は そうなっていない。indenの語義として次のような解説が述べられている。 pembelian barang dengan cara memesan dan membayar lebih dahulu 最新型の自動車を手に入れたければ、インデン方式で注文しなければならない。それです ら数カ月待たされる。場合によっては一年以上になることもある。 patenの語義はこうだ。 hak yang diberikan pemerintah kepada seseorang atas suatu penemuan dan digunakan sendiri オルバ期にポピュラーになったlatenはKBBIの中でオルバスタイルに従ってこう解説 されている。tersembunyi, terpendam, tidak kelihatan おまけにKita harus waspada terhadap bahaya laten komunis.が参照例文だ。 kombatもkabaretもKBBIに採録されているのだが、オリジナルインドネシア語の中に もっと常用されている対応語が存在しており、インドネシア語使用者の誰もが使う借用語 になっているかどうかは疑問だ。これは奇妙な現象だ。 なぜ一定の法則が使われるようにならないのか?母音で終わるbalada, soneta, talenta は原語彙が子音で終わっているのに比べて、ソフトで愛らしさが漂っている印象を受けな いだろうか?語尾が子音で終わる語はkasar, kaku, kerasという性質を包含しているのだ。 音の性質がそうだから、それは仕方のないことなのだ。一方、あらゆる母音は子音が付い ていなければ何の意味も示さないことをわれわれは知っている。反対に子音は母音を伴わ なくても自立することができる。 アラブ語の文字表記システムを見ればよくわかるだろう。基本的にアラブ語の筆写は子音 を書くだけなのだ。そして特殊なケースにおいてのみ、特定のサインが子音文字の上や下 に付されて母音を示すのである。 われわれのインドネシア語は母音と子音に同等の重みを与えていて、両者は同じ高さで記 されなければならない。われわれのデモクラシーが基本に置いている精神を示すことわざ のように。Duduk sama rendah, berdiri sama tinggi.