「ブギス=マカサル(1)」(2025年05月31日) ブギス=マカサルとしばしばセットにして呼ばれる二種族は南スラウェシ地方で最右翼な 種族だ。いずれもオーストロネシア語族のムラユポリネシア系でありながら、ブギス語と マカサル語は同一でない。 マカサル族は自らをMangkasaraと呼んだ。オープンな人間という意味だ。ところがその語 の中に含まれているカサルという音が非マカサル族の蔑視を招くことを嫌って、オルバ時 代にはマカサルという都市名がUjung Pandangに変えられたという話がある。ウジュンパ ンダンという地名はマカサル市街の中にある古い地区の名称であり、新しく作られた地名 ではない。世代が交代して都市名がまたマカサルに戻されてからもいまだにその連想は続 いているようで、マカサル人は粗野で物言いが激しいという印象がヌサンタラに流布して いるらしい。 実際にマカサル人は伝統的に征服と支配を好み、戦闘することに積極的で、海を活躍の舞 台にした。しかし統治行政は民主的であり、独裁者が行いがちな暴政・悪政を嫌った。 1511年に出現したDaeng Matanre Karaeng Tumapakrisik Kallongnaトゥマパリシ・カ ロンナ以来、ゴワ=タッロ王国は域内の覇権を握り、東カリマンタン・東西ヌサトゥンガ ラ・ティモール・マルク・北オーストラリアの一円に影響力を持つイスラム系王国として 勢力を振るった。 ブギス族もその支配下に落ちたが、征服下の支配被支配という雰囲気は薄く、民衆は融合 関係にあったようで、それがブギス=マカサルという包括的な種族名称を育んだ原因のよ うに思われる。とは言うものの、ブギス族が作った王国のひとつであるボネ王国の支配者 はマカサルの膝下にひざまずくのをよしとせず、VOCと手を結んでゴワ王国を撃滅する ために暗躍した事実もある。人間世界はそう単純なものでもないのだ。 ブギス族は歴史的に優れた船乗りであると同時に、訪れた海のかなたに滞在して生活を営 むことを当たり前のように行う、一種の流浪精神をたっぷり持った種族だ。もちろん故郷 と異郷を股にかけて生活するひとびとであり、決して海のジプシーだったわけではない。 17世紀ごろからブギス人はスマトラ・カリマンタン・ヌサトゥンガラの島々・その他ヌ サンタラの諸所からマラヤ半島・フィリピン・カンボジャなどにまで移住して生活領域を 広げた。シンガポールにブギスという地区があるのはその名残だ。 海の波涛を怖れない勇敢さは、たった3人しか乗れないジャロロという小舟を駆って南ス ラウェシからマラヤ半島、更にはタイやベトナムの海岸まで移動することを当たり前のよ うに行っていたかれらの海洋精神に見ることができる。 遠い昔からブギス=マカサル人が海に出たのは、異郷に出て身を立てることがその究極目 標になっていたためだ。南スラウェシのひとびとはそれをかれらの言葉でパソンペと呼ん だ。パソンペはミナンカバウ人のランタウとよく似た観念だ。山地人であるミナンカバウ 人のランタウにおいて、異郷に出るためには歩けばたいてい用が足りた。もしもその道程 に海が横たわっていれば、海は単に渡るべき交通路という意味しか持たなかった。 ところが沿岸地域に生まれたブギス=マカサル人にとって海は目の前に控えている交通の 出発点だった。同じ海であるにもかかわらず、パソンペとランタウの間で海はまるで異な る意味を持っていたのだ。 異郷に出て立身することをミナンカバウ人は歩いて行えたのと違って、ブギス=マカサル 人がパソンペを行うためには航海の能力が重要な問題になった。かれらが優秀な航海者に なったのは必然の結果だったのである。[ 続く ]