「ブギス=マカサル(終)」(2025年06月02日)

ブギス=マカサル人の歴史の曙はルウ王国と共に始まった。西暦紀元8世紀ごろに建国さ
れたと考えられているルウ王国は、スリウィジャヤ王国〜マジャパヒッ王国の時代にヌサ
ンタラの東部で併立していた強力な王国だ。ルウの民衆も船を駆ってマラヤ半島まで足を
踏み入れた。民族叙事詩ラ ガリゴに描かれた伝説のサウリガディンの航海はルウの皇太
子が中国やインドへの航海を行ったことを物語っている。

サウリガディンの物語に見られるように、ブギス人にとっては海を渡ることが生きること
の一部分を占めていた。ラ ガリゴは2011年にユネスコの世界の記憶に認定されてい
る。


13世紀に興ったゴワ王国はスルタン アラウディンからその孫のスルタン ハサヌディン
までの時代に大いに発展し、ヌサンタラ東部地域の海をブギス=マカサルの船が駆け巡っ
た。17世紀にはマカサルの港がヌサンタラ東部地域最大の商港になり、マラカとマルク
の間にできた通商航路の交差点になった。

しかしゴワの海上戦力はVOCに対抗できるものでなかった。最初VOCはスパイス通商
航路を自己の支配下に置くためにその協力をゴワに要請した。「ゴワの船もスパイスを求
めて航行するVOCの敵船を攻撃してVOCに助力を与えてほしい。」

スルタン アラウディンはそれをきっぱりと拒絶した。「神は陸地と海を作った。そして
陸地を人間に分配させ、海はみんなが使うものにした。」という有名なセリフがマカサル
の金科玉条になった。


17世紀にゴワ王国がVOCの属国にされてから、VOCはゴワ王国と国民の海洋活動を
弱めて内陸農業国に転身するようにしむけた。しかし民衆の中にはかれらの生き方を変え
させようとする西洋人支配者の強制に反抗するひとびとがたくさんいて、反抗者たちはパ
ソンペを行った。そのころパソンペ行動が大きく盛り上がったと言われている。

ゴワ王国の海軍司令官を務めたカラエン ガレソンは、VOCとの戦争で敗れてボガヤ協
定が結ばれたあと王国の職を辞してジャワ島に移り、自分の海軍を編成してVOCの船を
襲撃し続けた。後にトゥルノジョヨがマタラム王家への反乱を起こすとそれに協力し、1
679年に東ジャワのマランで病没した。マタラムを支援するVOC軍にトゥルノジョヨ
が降伏する前のできごとだ。


ブギス=マカサル人の海上交通と商業活動が目に余ったのだろうか、オランダ東インド政
庁は1906年にマカサル港に課税制度を敷いて自由港の息の根を止めた。ブギス=マカ
サル人を海に出ないようにさせる妙案がそれだったようだ。そしてついに、歳月と世代交
代がこの海の民から海洋精神をこそぎ落としてしまった。

そのダメ押しをするかのように動力技術革新と船舶の大型化が進展し、伝統が支えていた
かれらの身上である海上活動の分野からブギス=マカサル人は駆逐されてしまったのであ
る。大型化した海上輸送がジャワ島のスラバヤ・スマラン・バタヴィアに物流を集中させ
るようになった結果、マカサル港が持っていた地方ハブの機能までもが消え去ってしまっ
た。[ 完 ]