「ロティ ロティ・・(2)」(2025年10月07日) rotiの語源はbrotだという説もある。その説によれば、ブロッと呼ばれている食べ物が一 般社会で普及しはじめたために、家内工業的にそれを作って販売する者が増え、バタヴィ アをはじめとしてどこの町にもプリブミのブロッ生産者が開業し、高級品を作る生産者は 店を構え、普及品生産者は巡回物売りを使って売り歩かせた。 巡回物売りは売り物を音で消費者に知らせなければだれも家から出て来ない。ブロッ売り は運んでいる商品の名前を叫ぶことにした。「ブロッ、ブロオオオッ!」しかしこれでは 声があまりよく通らないのだ。加えて、物売りであることを家の中にいる消費者に気付い てもらうためには何らかの特徴を付け加えるべきだろう。 ブロッ売りの中の知恵者のひとりが語尾に「イー」と長く尾を引く音を付けることを始め た。かれは住宅地を巡回するときに「ブロッイー、ブロッイー!」と叫ぶようにしたので ある。そして他の巡回物売りもそれを見倣った。世間のひとびとはその販売商品がブロッ イーという名称であると認識した。ただしひとびとの耳にはbrotiiiiの語頭の/b/音がよ く聞こえなかったから、その売り物の名称がrotiという言葉で一般化した。 わたしの個人的な体験の中では、1990年代のジャカルタで我が家の周囲を通る巡回パ ン売りはスピーカーを使って囁くように「ロティ、ロティ・・」と言っていた。わたし自 身、「ブロッイー、ブロッイー!」という巡回パン売りの声を聞いたことは一度もない。 インドネシアで有名な老舗パン屋があちこちにある。現存する老舗パン屋の中での最古参 はプルウォクルトにある創業1898年のトコロティ「ゴー」だと言われている。華人系 プラナカン夫婦のゴー・クウィカとウイ・オアッケニオが始めた店で、初代が使ったパン 焼き窯が今も活躍している。先祖代々使われてきた防腐剤を使わない製法が相変わらず続 けられていて、エバーグリーンの人気を保っている。 1920年にボゴールで開業したパン屋「タン・エッチョアン」はロティガンバンが人気 商品だ。ガンバンとはガムラン楽器ガンバンのことで、ガンバンの音板に形状が似ている ためにそう名付けられた。グラメラを使ったこのロティは海外にも紹介されたそうだ。こ の店は1950年代にジャカルタのチキニ地区に支店を開いた。いまは三代目が経営者に なっている。 1980年代に「タン・エッチョアン」チキニ店の巡回パン売り三輪車は3百台を超えて いたが、2004年に125台に減った。2000年に入ってからブティックパンショッ プをはじめとしてパンの製造販売業界に参入する企業が急増し、競争が激化した結果そう なったという話だ。昔は一日1万5千個のパンを作っていたのに生産量は激減して、20 12年には5百個にまでダウンした。 チアンジュルで1926年に創業したパン屋「タン・ケンチュー」は最初、地元に駐屯し ているオランダ軍のために食事用のパンを作っていた。インドネシア独立後小麦粉の輸入 が1960年代に途絶えたために廃業したものの、その後復興して今日に至っている。 バンドゥンのブラガ通りにあるオランダ時代からのパンと菓子の店「スンブルヒダガン」 は1929年の創業で、当時の店名はHet Snoephuisと言った。英語にするとThe Sweets Houseという意味になる。今も商品の名称はオランダ語のままになっている。zwiebackは バニラクリームを塗った乾パン、krentenbroodはレーズンパン、melkbroodはミルクパン でsuikerbolはシナモンパン。 スンブルヒダガンも巡回パン売りに商品を販売させている。パンを置く大きな木箱を後ろ に備え付けた自転車を店側が用意し、販売者は毎朝店にやって来て売れるパンや注文され たパンを集め、木箱に置いて出発する。行先は住宅地区もあればパサルやモールの表の道 端のように人の集まる場所もある。年季の入った販売者は、その仕事だけで家計を成り立 たせることができているそうだ。[ 続く ]