「ロティ ロティ・・(3)」(2025年10月08日)

それらの老舗パン屋は従業員も長く居付いている傾向が高い。厨房でドウを丸めている手
の多くは50代60代のひとのものだ。まだ40歳で勤続年数23年の店員は、「自分は
ここではまだ新しい方です。」と語っている。かれらの中には親の代からそこで働いてい
た一家もある。そして顧客も親の代からそこをひいきにしていたひとびとがいる。小さい
ころに親がよく買って来たので愛着を感じ、自分も大きくなってからときどき立ち寄るよ
うになったと語る子供連れのひとりの母親が店内でパンを選んでいた。


プリブミ庶民への普及が始まった1930年代より前に開業したパン屋はオランダ人をは
じめとする西洋人や西洋風ライフスタイルになじんだエリートプリブミ階層を顧客にして
いたと考えられる。それらの店が最初に作り上げたレシピはその時代の顧客の口に合うも
のになっていたはずであり、たいていの店が創業時のレシピを続けていると語っているの
で、われわれは多分、味覚のタイムトラベルを楽しむことができるかもしれない。

それらの老舗パン屋の製品はたいていずっしりと密度の高いパンになっていて、モダンな
パンメーカーが作る軽くてフワフワのパンとは違っているとファンたちは語っている。一
個食べただけで腹に溜まる感触が得られるパンのほうに魅力を感じる現代人もまだまだた
くさんいるようだ。

上述の店名からも判るように、オランダ東インドに住むエリート階層の需要を満たす商品
を作っていたのはたいてい華人系プラナカンだった。かれらはヨーロッパ人をメインの対
象にしてヨーロッパスタイルのパンや菓子を作っていたのだ。

オランダ東インドの中で華人がどのようなポジションにいたのかということがその現象か
ら見えて来るだろう。華人が東インド経済を掌握するようになるのも当然の帰結のように
感じられるではないか。


トコロティ「ラウ」はラウ・チョアントがボゴールで1940年にオープンしたパン屋で
あり、最初は巡回パン売りを大勢使って販売することから始めた。ボゴール大統領宮殿が
お得意さんになったという話もある。功成り名遂げたいまも、大勢の巡回パン売り部隊が
住宅地区や集落を巡っている。

バンドゥンで1954年に開業したトコロティ「シドダディ」は、21世紀に入った今で
も11時の開店前から客がやって来て表扉をノックする、高い人気を誇る店だ。店側の用
意ができていれば買い物させてくれる。

ある日の10時半ごろ、店内には数人の客がいた。開店後に来ると店内は芋の子を洗うよ
うな状態になっているから落ち着いて品物を選べないと語る主婦はジャカルタの友人に頼
まれたと言ってチーズパンをまとめ買いしていた。チーズパンに塗るチーズはクリーム状
にしたものが使われているので、パンの中までしみ込んでいる。この店はパイナップルパ
ンやストロベリーパンに使うフィリングも自家製にしている。

いざ11時に店が開かれると、ほんのしばらくして店内は人でいっぱいになり、店員もレ
ジ係も店の人間はぼんやりする暇もなく仕事に精を出す。店の閉店時間は20時だが、1
8時ごろには店内が空いてくる。そのころには、商品はもうほとんど残っていない。

自動車専用道を使ってジャカルタからバンドゥンに週末を過ごしにやってくる行楽客の中
には、土曜日に電話で予約を入れ、日曜日にジャカルタに戻る時に店に立ち寄ってパンを
土産に持ち帰るひとびとがいるそうだ。

シドダディのパンはあまり膨らませないようにして作られており、密度の高いパンになっ
ている。創業以来の製法が続けられているのである。防腐剤も使っていない。モダンなフ
ワフワのパンに飽きた消費者がバンドゥンにきっと大勢いるにちがいない。

創業者の孫に当たる今の店主は、祖父も父もレシピを変えてはいけないと言っていたので
昔の製法を続けていると語った。価格も庶民の手の届くものを維持しろと言っていたそう
だ。そのために、この店のパンは他で一般的な価格レベルよりも廉い。[ 続く ]