「タンジュンプリオッ(18)」(2025年10月08日)
2015年12月21日、タンジュンプリオッ〜ジャカルタコタ路線電車運行が公式に再
開された。コミュータ電車の運行は今も継続しているものの、中長距離乗客列車はまった
く入って来ず、貨物列車だけになっている。


タンジュンプリオッ港はいま、およそ8万人がそこで職を得ている。20世紀に入って港
が活況を呈するようになったころは、とてもそんな数で足りるものでなかっただろう。今
でこそコンテナ荷役が普通になったが昔は在来船の貨物荷役ばかりがすべての埠頭で行わ
れていて、その作業の大半が人力を必要とした。いまの8万人はたいてい港の周辺に住ん
でいるひとびとであり、昔のように遠方から汽車に乗って港に通う必要性を有する者は大
幅に減少したにちがいあるまい。鉄道利用者の激減は当然の帰結だったと思われる。

20世紀に入ったころは港の中のいたるところで労働力が必要とされた。港湾運営の現場、
埠頭や貨物駅での荷役作業、倉庫での作業や警備などにプリブミの労働力が大量に求めら
れたのだ。港が拡張されるごとに労働力需要は膨れ上がっていった。

労働力供給の便宜を図るために口入れ屋が店開きした。人間を取り扱う商売の競争が始ま
る。おとなしく秩序だったことをしていれば、荒っぽい競争をする店に客を奪われること
になりかねない。そこにジャゴアンが割り込む機会が用意されていた。ジャゴアンとは闘
技に長けた強者であり、その強さゆえに地元の顔役になった人間を指している。

昔のヌサンタラにはそんなジャゴアンが必ず村々にひとりふたりいて、物理的な暴力が村
を襲う時、常に先頭に立って闘争した。ジャゴアンの多くはイスラム教義を深めて村人を
心服させる力を持つように努めた。治安警備面のリーダーとして村人を指揮する必要性も
頻発したから、人心掌握もジャゴアンの地位の中に含まれていたということだろう。

村の外からの暴力が集団の形で侵入してきた時、かれは村人を組織して戦闘を指揮しなけ
ればならなかった。村中の人心を掌握できない人間にその役割は務まらない恐れが高い。
ジャゴアンは物理的闘争における個人的な強さによって他の村人たちから尊敬されたわけ
だが、暴力的な強さだけでは人心掌握の完ぺきさを期するのが無理であることを熟知して
いて、そのために有徳の人物たるべく自分を方向付けた。


インドネシアのジャゴアンたちは倫理的な潔癖さを示してコミュニティから敬われる生活
姿勢を執った。その点は日本で昔栄えたやくざの親分との類似性があるようにも思われる。
またイスラム神学を深めて宗教的な教導を行える人格を持つようにした。人の上に立つた
めの人間的な大きさについてわたしは述べている。

言うまでもなく日本にも倫理性の欠如したただの暴力親分がいたように、インドネシアに
もただの暴力ジャゴアンがたくさんいた。同じ名前に区分されるにも関わらずクオリティ
は千差万別というのがありきたりのこの世の姿であり、ラベル思考をしていては真実が見
えなくなってしまうだろう。

ただしインドネシアのジャゴアンの多くは私的な組織を作って親分になることをあまりし
なかったようだ。自分の立場を村コミュニティの一員と定めて、そのコミュニティの中で
の治安担当リーダーという機能を司ったように思われる。そこのポイントに、日本のやく
ざの親分との性格の違いが出ているのではあるまいか。[ 続く ]