「タンジュンプリオッ(終)」(2025年10月09日)

タンジュンプリオッ港から近いところに奇妙な名前の付いているパサルがあった。Pasar 
Ularがその名称だ。ular(蛇)の/a/音を訛って弱母音にし、ulerと発音するひとが今で
もいる。ところがこのパサル内に蛇を売っている者など昔から今までひとりもいたことが
ないそうだ。ではなぜそんな名称が付けられたのか。

1970年にその場所に雑貨市場ができたころ、元々湿地帯だったその場所に蛇がたくさ
んいたのでそんな名前になったという説がある。それとは違って、この広い市場内の通路
がくねくねと曲がっていてまるで蛇のようだということからそう呼ばれるようになったと
語る説もある。きっとどちらもが正しいのだろう。現実の世の中というのは学校と違って
「正解はただ一つ」が通用しない世界なのである。Aさんにとって正しいものごとがBさ
んにも常に正しいとは限らないのが人間の世界ではないだろうか。


このパサルウラルができたころ、タンジュンプリオッ港に入る船の乗組員の中にジャカル
タで使う金を必要としていた者たちがいて、自分の私物である服や靴あるいは腕時計など
を地元民に売ってルピアを手に入れる慣習ができていた。中にはプリオッ港周辺で高く売
れる品物を先進国の港で拾って持ってくる船員もいたらしい。金を手に入れた外国人船員
たちはそこから近いクラマットゥンガッへ行って娼婦を買うのが通例だったそうだ。

クラマットゥンガッは地元政府が売春隔離地区として設けた土地だ。イスラム法では罪に
該当するもののインドネシアの国法では犯罪として明文化されていないために、地方自治
体が売春隔離地区を用意し、その土地の外で行われる売春を犯罪として法的処罰を与える
ことは国内の各地で行われていた。

ところが売春隔離地区の存在を快く思わない住民の声が強まり、それはどんどん廃止され
ていく運命を全国的にたどった。その結果こんどは売春がマッシブにべた一面広がって収
拾がつかなくなった。売春隔離地区では性病コントロールが行われていたから、すくなく
ともそれは管理された売春だったと言えるだろう。性病管理が野放しになったら損得計算
はどうなるか?売春隔離地区の存在に反対していた理想主義者たちは買春者の自業自得と
思うだけだろう。

そんな船員たちの持ち込む品物で商売しようと考えた地元民たちが集まって来て市を成し
たというのがパサルウラルの来歴だったようだ。つまりは中古品市場ということになるの
だろう。だからこの市場は他の場所で売られている品物が超廉価に買える市という定評を
得ていた。セコハンだから超廉価の値段になるという理屈が買い手の頭の中に宿るのが普
通であるとはいえ、中には輸出品のキズ物を生産者が荒っぽく値引いて流通業者に渡すこ
とも行われるようになり、セコハンという過去の常識が今では覆されている。

もちろんパサルウラルは最初、タンジュンプリオッ港のすぐ近くの場所にできた。位置的
にはコジャ郡になっていたようだ。1985年に立ち退きが命じられたことから、もっと
南のヨッスダルソ通り沿いに移った。それと分かれてもうひとつがプルンパンにもできた。
プルンパンのパサルウラルは衣料品がメインを占めた。

売場の店主たちの話では、買い物客はそれらのパサルウラル周辺の住民だけでなく、首都
圏一円から遠くはバンドゥン・スマラン・ヨグヤカルタの住民までもがやってくるらしい。
市場の売場オーナーたちが売っている品物はもちろん、船員の私物中古品ばかりではない
のだ。

韓国人や白人の船員がここへやってくるという話を市場の売場店主がしていたことが20
01年のコンパス紙に書かれていたから、相変わらず船員の中古私物も販売されているの
だろう。とはいえ、日常生活用品から装飾品や調度品まで、ありとあらゆる品物がそこで
販売されている。

古い家屋を解体したときに出たアンティークタイルやらバスルーム用品、あるいはクリス
タル製装飾品。水瓶や大型陶器類、家電品、衣料品からアクセサリー類、文房具や土産物
雑貨など、商品は多岐にわたっている。20世紀終盤ごろには日本・韓国・シンガポール
などで捨てられた古着類が大量にインドネシアに密輸入されて、政府にとって頭の痛い問
題になっていた。パサルスネンでもそんな古着類が大安売りで販売されていたのをわたし
は自分の目で見ている。

パサルウラルでもきっとパサルスネンのような状態だったと思われるが、2001年ごろ
はもうそんな品物の販売がなくなり、新品が大安売りされるようになったとコンパス紙は
報道している。どうして廉価に販売できるのか、普通の消費者にとってインドネシアの商
品流通の仕組みは謎だらけだ。[ 完 ]