「税(1)」(2025年10月22日) 世界の歴史の中には、自分の支配地域に住む住民から支配者があの手この手で財を徴収し てきたストーリーがいろいろと物語られている。そのあの手この手にはたいてい税という 言葉が付けられていたのではなかったろうか。その徴収を時に人は搾取とも呼ぶ。 現代語義で税という言葉が、国や地方が必要とする資金を住民から強制的に徴収する金銭 と定義付けられているのは、強制する者とされる者の間の支配関係が建前として認められ なくなったことから、住民への行政統治を行う者の私的な収入という観念が消滅したため だろうと思われる。 だが現代の人間が行っているヒューマンリレーションに支配被支配というパワーオリエン テーションが存在しないと信じている人間がどれほどいるだろうか?言葉が使われなくな ったことと実体が存在しないことを同一視してはならないとわたしは思う。 ヨーロッパ人がやって来る前のヌサンタラには税という概念のものがあまり見られず、地 域コミュニティの首長である王様への尊敬を表すものとしての貢納を住民が行うのが一般 的だったと解説されている。自分たちが生きるための食糧を収穫しあるいは生産するのが マジョリティ住民の当時の暮らしだったから、貢納品は稲・ヤシ・家畜・海産物などの素 材とそれらを加工して作る飲食品が大部分を占めていたと推測される。貨幣システムがま だ未発達な時代だったことがそんな姿を生み出す基本要因になっていたことを軽視しては なるまい。 首長の手に集まった財を使って公共福祉のために何かを行うということの因果関係は現代 ほどはっきりしていなかったようだ。土木工事には住民が無報酬で駆り集められるのが普 通だったから、首長は知恵を出すことと指揮を執ることをするだけでよかっただろう。そ の代わりに工事が完成した後、首長は全員参加の大規模な宴会を催して労をねぎらったよ うだ。首長の私有する財はそこに使われた印象がある。 貢納品が首長の私的収入とされているなら、首長が行う公共福祉行動に善政という評価が 与えられるのは当然の帰結になる。首長が持つその面での義務感はあくまでもヒューマニ ズムに由来するだけのものになり、その地位がもたらす対価としての義務は成立しなくな るように思われる。ただまあ、これは建前という視点から見た話しだ。 ヨーロッパ人はかれらの社会で行われている税という概念をヌサンタラに持ち込んで実践 した。ポルトガル人が国家民族宗教を背負って海外に出てきたのと違って、オランダ人は 会社を背負ってやってきた。海外におけるポルトガル人の活動領域が広がるにつれてポル トガル人の中にアジア人混血者が増加し、父国に行ったことすらない混血者がポルトガル 人を名乗ってアジアでの航海・商売・居住あるいは戦争を行うようになった。 それに比べてオランダ人は会社を背負って海外に出てきたから、ひとりひとりの持ってい る経済観念のレベルがポルトガル人とは異なっていたことが推測される。しかもオランダ 人は文化を共通にするドイツ・デンマーク・フランスなどの周辺民族を社員に雇用して会 社活動の中枢をヨーロッパ文化で掌握したから、その点にもポルトガル人との違いが出現 したのではないだろうか。 オランダ人はヌサンタラにヨーロッパの飛び地を作っていった。飛び地での暮らしはヨー ロッパのシステムが基本に置かれ、地元の文化文物はヨーロッパシステムの隙間に置かれ るものとして扱われた。ヌサンタラでオランダ人がアンボンの次に設けた飛び地のバタヴ ィアは、アンボンがそうでなかったのに対して最初からオランダ風の街として建設された のである。 バタヴィア城市から少し離れたアンケ要塞に橋が架けられ、橋を通行する者は金を徴収さ れた。川を渡るときに船頭に金を払うのと同じという見方がなされたようだ。ヨーロッパ には古くから橋の通行税制度があったものの、アンケの橋の話はVOCがその概念を適用 しなかったように聞こえる。[ 続く ]