「税(2)」(2025年10月23日) 1740年にバタヴィアで起こった華人街騒乱のあと、VOCは華人に対して頭髪税を課 した。清国は満州族のヘアスタイルである辮髪をかれらの征服した漢人に強制したので、 辮髪がその時代の中国人を示すシンボルになった。東インドに住む華人系プラナカンもそ れに倣った。というのも、華人系プラナカンはプリブミでなくて東インドに住む東洋人在 留者であるという定義付けをVOCが与えていたからだ。日常生活の中で東洋人在留者が ひと目でプリブミでないことを明瞭にさせるため、為政者は東洋人在留者に伝統的民族ス タイルで外出することを命じていた。アラブ人もインド人も華人もムラユ人も、みんな伝 統文化の外見をして出歩かなければならなかった。 しかし別説では、1619年10月9日から頭髪税が開始されたというものもあり、ソウ ・ベンコンがバタヴィアの初代カピタンチナに任じられる前から始まっていたとその説は 述べている。この頭髪税が辮髪に対する税だったとは考えにくい。 歴史家アルウィ・シャハブによると、中国が清だった時代の東インド在留華人は10歳に なると辮髪を始めたらしい。額から頭頂までの髪は剃り上げ、後ろの髪を長く伸ばすので ある。髪を剃るのは毎週行われた。そして辮髪をしている16歳から60歳までの者にV OCが税金を課した。その税金はpajak kondeという名前でも呼ばれたらしい。コンデと いうのは昔の女性が長い髪で作る髷を指している。この頭髪税は女性にも課されたのだろ うか?税額はひとり1.5レアルだったという情報があり、また月額0.25フローリン で年間一括だと2.5フローリンだったという話もある。 VOC時代のバタヴィアでは、そういった税金の徴収がカピタンの仕事のひとつになって いて、カピタンチナは毎月1日から三日間、家の表に旗を掲げて納税日が来たことをコミ ュニティ社会に知らせた。バタヴィア城市内西岸の北端に住んでいたカピタンチナがそれ を行っていたので、その家の表の通りが旗竿通りJalan Tiang Benderaと命名された。 この納税を怠ると、8日間の入獄または25フローリンの罰金が科された。ところがムス リムになった華人プラナカンはパジャッコンデが免除されたという話もある。ムスリムに なった者は辮髪をやめたからだとその話に書かれているものの、この解説では実情がよく 見えてこない。ムスリム華人は全員が中華伝統文化を否定したのだろうか?それともムス リムになるとプリブミになったという解釈をオランダ人がしていたということなのだろう か? 頭髪ばかりか、長い爪をしている者にpajak kuku panjangが課された。爪が長いというの は労働をしない人間であることを示しており、裕福なのだから税金を払えというロジック が成り立っていたのだろう。また華人が大好きなアヘンや賭博にも税金が課された。 オランダ時代の華人社会では賭博がたいへん好まれていて、そのひとつとしてkartu ceki というゲームが流行した。これはカードゲームだが麻雀を簡略にしたゲームであり、出来 役によってポイントが異なるので、数ラウンドを行って合計点を競い、ポイントに応じて 金を払うような方式が使われたようだ。 最初は華人社会で流行していたものがプリブミ社会にも拡散し、イスラムではハラムにな っている賭博に狂奔するプリブミもたくさん現れた。チェキという言葉は福建語の一枝の 発音chit kiに由来しているという説が有力なようだ。カルトゥチェキは決してチェック カードではないのである。 19世紀後半から20世紀前半ごろの植民地時代にオランダ東インドでも海峡植民地のマ レーシアやシンガポールでも、カルトゥチェキは華人社会のマスコットになっていた。ク ダッKedahのスルタンもこの賭博ゲームが大好きだったという記録が遺されている。 このゲームは中国に発祥した麻雀を簡略にして紙カードで遊べるように南洋華僑が考案し たものらしい。マラッカのカードゲームと表現している記事もある。インドネシアではた いていチェキと発音されているようだが、ブタウィ語やバリ語ではチュキと弱母音化する 傾向が見られる。マレーシアではcherki card gameという英語化表現もなされているよう で、発音はチェーキという長音になっている。正しい発音はこの世にひとつだけだと考え てはいけないのである。[ 続く ]