「インドネシア鉄道史(43)」(2025年11月22日)

1894年12月15日付けで出された鉄道コンセッション認可を踏まえてプロボリンゴ
蒸気鉄道会社Probolinggo Stoomtram Maatschappij (略称PbSM)が設立され、同社は18
97年から鉄道運行を開始した。この事業の中心はプロボリンゴとパイトンを結んでその
沿線にあるUmbul, Sumber Kareng, Wonolangan, Kandang Jati, Gending, Maron, Bago, 
Pajarakan, Paitonの9製糖工場の製品を輸出港に運ぶことにあったから、鉄道建設工事
はプロボリンゴ〜パイトン線の設置に集中した。

ジャティ〜グンディン〜ジャブン29キロ区間が1897年4月21日に開通し、ジャテ
ィ〜プロボリンゴ1KM区間がその年の6月22日につながってジャブンまでの沿線産品が
プロボリンゴ駅に達するようになり、SSの鉄道路線にリレーされはじめた。ジャブン〜パ
イトン間はそれからちょうど1年後の1898年6月22日にオープンして、同社の建設
計画がほぼ実現した。

さらにジャティからプロボリンゴ港への支線が1898年9月に作られ、クラクサアンか
らカリブントゥへの支線が1900年、プロボリンゴからスンブルカルンへの延長も19
12年になされた。

SSはプロボリンゴまで建設した路線を南のクラカに向けて延長させたために港の近くにあ
るプロボリンゴ駅からジャティ駅までの間をPbSMの線路と並んで敷く格好になり、そこに
は線路が三本ならんでいたという話が語られている。プロボリンゴ港〜プロボリンゴ〜パ
イトン線は1960年代に廃止された。[ 続く ]