「インドネシア鉄道史(44)」(2025年11月23日) 1895年9月27日にクディリ蒸気鉄道会社Kediri Stoomtram Maatschappij (KSM)が 設立され、クディリ県パレに本社が置かれた。この会社は沿線で生産される物産と住民の 輸送を目的にしてパレを中心にする周辺エリア一帯に鉄道網を設け、またクディリとジョ ンバンの町を結ぶ鉄道路線を運行することを事業の焦点にしていた。なにしろその沿線に はたくさんの製糖工場があって活発に砂糖生産を行っていたのだ。オランダ王国に繁栄を もたらす東インドからの農産物輸出の効率を高めることは、国家への多大な貢献になるの である。製糖産業人はその持ち場で、鉄道輸送関係者はその立場で、国王への忠誠を形に することが求められていた。 この沿線には次のような製糖工場が鉄道の到来を待ちわびていた。 Ceweng, Cukir, Gudo, Badas, Blimbing, Kencong, Bogokidol, Tegowangi, Kawarasan, Pesantren, Jombang, Menang しかもクディリとジョンバンの両ターミナルはSSが既に設けた駅に接続する計画になって いたのである。 作られた路線はパレを中心にしてSSが設けた路線にあるクディリとジョンバンの両駅を結 ぶルート並びにパレの南部から東部にかけての農園地帯をクディリ〜ジョンバン線につな げる形になっていた。パレ〜クディリ線にワテスとジュンコルがつながり、クプンはパレ と結ばれ、ジョンバンの町から14キロほど真南にある~ゴロはプロルジョを通ってパレ 〜ジョンバン線に合流した。 パレからゴロに向かう線路が敷かれ、パレの東方10KMほどの距離にあるカンダガンを経 由してゴロに達したとき、パレ〜カンダガン〜ゴロ〜プロルジョ〜パレというループがで きあがった。そのループのプロルジョ〜パレ間はパレ〜ジョンバン線とオーバーラップし ている。それらの鉄道建設工事は1895年から1900年初までかけて行われた。 KSMは事業の中心に位置付けた全長49.6KMのクディリ〜パレ〜ジョンバン線の建設か らまず着手し、1897年1月7日にその路線を開通させた。ジョンバン側に作られたジ ョンバンコタ駅からSSのジョンバン駅に向かう線路が設けられて1898年1月1日から 連絡が開始され、またジョンバンコタ駅からジョンバンパサルへの支線も1999年7月 13日から運行が始まった。 続いてクディリ〜ワテス線とパレ〜パパル線が1897年5月8日、パレ〜クプン線は1 898年8月に開通した。パレ〜ジョンバン線につながるプロルジョ〜~ゴロ〜カンダガ ンは1898年12月に完成した。1899年5月にパレ〜クンチョン〜カンダガン線が 開通したことでパレとゴロを周回するループができあがった。1899年6月にはグラ〜 カワラサンでも列車運行が始まった。[ 続く ]