「インドネシア鉄道史(49)」(2025年11月28日) マランに本社を置いた民営のマラン蒸気鉄道会社Malang Stoomtram Maatschappij(略称MS) はSSがスラバヤとマランをつないでからおよそ20年後にマラン周辺エリアで鉄道事業を 開始した。マランの町の南部で生産されるコーヒーや砂糖などの輸出商品をSSの路線にリ レーして輸出港に運ぶこと、また規模が拡大していくマランの町への農産物供給を盛んに させるために農村部の商人に交通の便宜を与えることなどが事業の中心に置かれていたよ うだ。 マラン県南部のダンピッはマランの誇る大コーヒー産地であり、その西のトゥレンは米の 産地だった。KebonagungやKrebet、またSempalwadak、Panggungrejoなどの製糖工場がMS の計画する鉄道路線網でカバーされることになった。 SSのマラン駅から2キロほど南にマランコタラマがMSのターミナル駅として建てられ、1 897年11月14日からブルラワンまで列車が走るようになった。そのルートは次のよ うなものだった。 Malang Kotalama - Lowokdoro Kacuk - Kendalpayak - Sempalwadak - Bululawang さらにブルラワンから22.5KM離れたGondanglegiまで線路が延ばされて1898年2 月4日にオープンし、ゴンダンルギから東に向きを変えてTalok経由Dampitに達して18 99年1月14日に全線が開通した。本線が通らなかったトゥレンへの支線は1908年、 またゴンダンルギから西方のクパンジェンへの17KMの支線は1900年に設けられてい る。 MSは次にマランの北側に向けて路線を延ばしていった。この路線はマランの町中を通過す るために市内交通の便が高まった。行程は下のようになっている。この路線は6キロほど の区間に8駅が設けられていて、市内鉄道の趣を感じさせている。 Malang Kotalama ? Malang Jagalan ? Malang Alun-alun ? Jalan Simpang Batu - Rampal - Lowokwaru - Glintung - Blimbing ブリンビンから路線は分岐してひとつはSingosariに、もうひとつはTumpangに向かった。 ブリンビン〜シゴサリ6.3KM区間の開通は1901年4月27日 ブリンビン〜トゥンパン16.7KM 1901年4月27日開通 マランコタラマ〜ブリンビン6KM 1903年2月15日開通 MSはこの事業で大きい利益をあげたようだ。イ〜ア語ネット情報の中に、1925年に貨 物運送で得られた利益は718,242.44フルデン、乗客運送からの利益は278,341.63フルデン だったという内容が見られる。運行のたびに列車の三分の二がコーヒー・粉・豆・サトウ キビでいっぱいになっていたそうで、貨物輸送がオランダ植民地における鉄道の本分とい う実質がそこから明白に窺えるのではあるまいか。 製糖工場自身も農園から工場へサトウキビを運搬するロリーの線路を敷いたから、この地 方ではあちらこちらで線路が交差している姿を目にすることになった。鉄道線路の下を掘 ってトンネルを作り、ロリーの線路がトンネルを通るようになっている場所もあると地元 の鉄道愛好家は語っている。 ゴンダンルギから東のダンピッまでと西のクパンジェンまでの線路は1943年に日本軍 が撤去して運び去ったが、独立後にインドネシア鉄道局が線路を再敷設した。しかし結局、 南に向かうMS路線網は1978年にすべて閉鎖された。一方、北に向かう路線網は最初に ブリンビン〜トゥンパン区間が1968年に閉鎖され、残った路線も1978年に全滅し たのである。[ 続く ]