「インドネシア鉄道史(50)」(2025年11月29日) パスルアンでは民間資本のパスルアン蒸気鉄道会社Pasoeroean Stoomtram Maatschappij (略称PsSM)がパスルアン一帯にある製糖工場のために製品輸送の便を向上させることを目 的にして1895年に設立され、1896年から鉄道事業をスタートさせた。その当時そ の地方にはクダウンの suikerfabrieken Kedawoeng、ウィノガンのSf. Bekassie Oost、 ガヤムのSf. Gajam、プンコルのSf. de Goede Hoop、プレレッのSf. Pleret、ウィノルジ ョのSf. Wonoredjo、プルウォサリのSf. Alkmaarなど多数の製糖工場があった。なにしろ パスルアンはファン デン ボシュの栽培制度によって1831年に91の製糖工場を数え たほどの地域だったのである。 1878年にSSがスラバヤ〜パスルアン線を開通させたあと、そのころジャワ島東部で隆 盛を誇っている通商産業港湾センターの町パスルアンと周辺エリア一円を結ぶ鉄道事業の 大きい可能性が浮かび上がって来た。1882年にはパスルアン周辺エリアに鉄道路線網 を敷く案が出されていたという話だが、PsSMがそれを実現させたのが十数年後というあた りの事情がよくわからない。ともあれ、そのチャンスをPsSMが捉えたのである。PsSMは各 路線の諸区間を次のように建設していった。 1 Pasuruan?Warungdowo 6KM 1896年5月21日開通 2 Pasuruan-Pelabuhan(Boom) 2KM 1896年12月27日開通 1 Warungdowo?Bekasi (Winongan) 10.5KM 1897年3月26日開通 3 Wonorejo-Bakalan 4KM 1897年6月7日開通 3 Warungdowo-Wonorejo 11KM 1899年3月17日開通 3 Bakalan-Alkmaar 4KM 1900年5月8日開通 4 Pasuruan-De Bromo,NV 3KM 1912年3月27日開通 5 Warung Dowo-Ngempit 5KM 1912年12月1日開通 1 パスルアン〜ウィノガン路線 2 パスルアン〜ボーム路線 3 ワルンドウォ〜アルクマアル路線 4 パスルアン〜ブロモ社路線 5 ワルンドウォ〜~グンピッ路線 ドゥ ブロモ株式会社De Bromo,NVというのは諸製糖工場で使われている機械類のオペレー ションをサポートするサービスを行っていた鉄工会社であり、重量物を納品する際に鉄道 が鉄工作業場の近くまで来ていれば仕事がおおいにはかどったにちがいあるまい。 パスルアン港だけでなくスラバヤ港へも貨物が送られた。SSの列車に貨物をリレーする作 業は、PsSMのパスルアン駅とSSパスルアン駅舎が至近距離に設けられていたから、容易に 行えたように思われる。 1 パスルアン〜ウィノガン路線、4 パスルアン〜ブロモ社路線、5 ワルンドウォ〜~グン ピッ路線は日本軍が線路を撤去した。後になって1 パスルアン〜ウィノガン路線はインド ネシア独立後に再敷設されたものの、1988年に閉鎖された。 1932〜33年に世界不況のあおりを受けて運行が閉鎖された路線もある。中には人の 移動がほとんどなくなってしまったために客車を連結しなくなった路線もあったようだ。 最終的にインドネシア国鉄が1988年に、残っていた運行路線を廃止してパスルアン周 辺部の鉄道運行は姿を消した。[ 続く ]