「ランファンコンス(1)」(2025年12月01日) 西カリマンタンのマンドルに首府を置く華人の国が1793年に誕生した。蘭芳公司とい う名称のこの国は蘭芳大統制共和国を自称し、全住民による投票によって選出される首長 が大唐総長という肩書で統治行政を行った。蘭芳大統制共和国は憲法を持ち、法規を定め、 教育・農業・税制・銀行の諸制度を設けた。ただし対外的には蘭芳公司が公式名称として 使われた。 現代デモクラシー形式の実践を世界で初めて行ったのがこの蘭芳公司ではないかという論 もあれば、また別にヌサンタラに出現した最初の共和国だったという論評もかれらに捧げ られている。ただし、18世紀末のその時代に蘭芳大統制共和国を国家として認め、外交 関係を樹立した世界の国は朝貢を受けた清朝以外にひとつもないように思われる。多分、 その時代に蘭芳大統制共和国の中にいたひとびとと、当時の中国大陸にいた知識人と、そ して歴史を学ぶ現代人の一部がそれを国だと呼んでいるだけだろう。 西カリマンタンのスルタンたちが黄金採鉱事業のために華人を招き、やってきた華人が各 金鉱ごとに事業組織を設けた。ビジネス組織だから中国語でコンス(公司)と呼ばれる。西 カリマンタンにできた14のコンスのうちの有力組織が蘭芳大統制共和国の前身である蘭 芳公司だ。1777年の組織結成以来、組織のリーダー選出は全組織員の投票で行われ、 その他の組織運営のあり方も民主的な方法が最初から使われていた。 とはいえ、ポンティアナッスルタンから1793年に領地を与えられてはじめて国と呼べ る条件がそろったわけで、合法的な領土を持たない時期の蘭芳公司を国と呼ぶのは勇み足 ではあるまいか。 会社を意味する公司という言葉が国名にされたのは1777年に発足した華人の事業組織 名がそのまま継続されたからだろう。元々は西カリマンタンにやってきた客家人の設けた 事業組織のひとつであり、地元のプリブミ領主が事業組織と居住地区での自治を与えたの が発端で、後に領地を与えられて自治領に変身したときにはじめて国と解釈できる実体を 備えるものになった。 自治領になってからかれらは清国朝廷の公認を求めて貢納を行った。その際に蘭芳共和国 を名乗るのは朝廷を不快にする恐れがあるので不適切とかれらが考えたために、従来から の名称である蘭芳公司を使い続けたという解説が中国語ウィキペディアに見られる。 中国には古い昔から金属精製と加工の歴史があり、高いレベルの知識と技術が築かれてい た。ムラユ世界の王たちは自領で産する黄金や錫の採鉱と精製を望み、その仕事を行える 者は華人だけだと考えた。とりわけ黄金の採掘から精錬までの作業は高度な知識と技術を 必要としたために優れた技術者と勤勉な労働力が必要であり、それらは地元で得られない ものと考えたのだ。 マラヤ半島のムラユ王国が最初にそのアイデアを実践し、スマトラ島北部や東部のムラユ 王国がそれに倣った。そのあとブルネイのムラユ王国が追随してから、カリマンタン島西 部の王国がそのあとを追った。ムラユ人にとってムラユ世界というのはそんな結びつきを 持っている。西洋人の世界観の中にはムラユ世界というものが正しく認識されておらず、 かれらの常識の中ではマラヤ半島とボルネオ島北半分だけがマレーであると見なされてい るようだ。[ 続く ]