「ランファンコンス(2)」(2025年12月02日) カリマンタン島西部で金鉱開発の先鞭をつけたのはオプ ダエン・マナンブンを領主に戴 くムンパワのパヌンバハンだった。領主の弟でリアウスルタン国の副王になっているオプ ダエン・チュラッがムンパワのパヌンバハンにそれを勧めたのである。リアウでは既に華 人を招いて錫の採掘と製錬を行っており、良い結果が出ていたから兄の国も行ってみては どうかということで鉱業プロジェクトの勧めが行われたのだろう。 ユアン・ビンリン著「中華デモクラシー:西ボルネオのコンスに関する研究」には、「採 鉱事業のために華人が西カリマンタンに招かれたのはかれらが金鉱開発技術をマスターし ていたためだった。かれらはバンカ群島での黄金採鉱事業に成功してパレンバンのスルタ ンに大きい利益を与えた。」と記されている。 1740年ごろパヌンバハンは伝手を頼ってブルネイで働いたことのある華人20人を呼 び寄せた。多分その時点でムンパワにはまだ金鉱が発見されておらず、パヌンバハンは金 鉱探査もできる華人を招いたのではないかと考えられている。そのころ西カリマンタンに 住んでいた華人は100人くらいだったという情報がある。 自領のマンドルを探査させたパヌンバハンは発見された金鉱の開発に取り掛かった。数年 間マンドルの金鉱で仕事が行われてから、近くにもっとよい金鉱があるという話が華人た ちから出された。パヌンバハンがその場所を見に行ったところ、そこはサンバススルタン 国領内のモントラドゥッであることが判った。Montradukという地名は現在Monteradoに変 化している。 マンドルの金鉱で作業していた華人たちは、その話を携えてサンバスのスルタンに会見し た。サンバススルタンはかれらにモントラドゥッ金鉱の開発を許可し、仕上がった黄金を 両者間で分配する契約を結んだ。1750年ごろからモントラドゥッが西カリマンタンで 二番目の金鉱として活動を開始した。その事業を行うために華人たちがあらたに労働力を 呼び集める必要が起こったのも当然であり、華人たちが人脈や地縁あるいは職業の関連で 関係を持っているひとびとが西カリマンタンに呼び寄せられた。 華人がサンバススルタン国で黄金採掘事業を開始するようになると、サンバス国内で続々 と新しい金鉱が発見された。モントラドゥッに続いてスミニス、ララ、ルマルで新たな金 鉱事業が始まった。そのすべてが豊富な黄金を生産するようになったために、華人世界に この黄金郷のニュースが広まってサンバスにゴールドラッシュが巻き起こった。サンバス へ行って既存の華人組織に加わって働けば、食っていくという問題は解決される。 現地で仕事していた華人たちは労働力を増やすために知り合いを招くようなことをする必 要がもうなくなり、黙っていても人間が続々とやってくるようになった。やってきた華人 の多くが住み着いてダヤッ人女性と家庭を持ち、現在西カリマンタン在住華人プラナカン の先祖になった。 1770年ごろ西カリマンタン地方にいる華人は2万人を超え、そのうちの7割がサンバ ス領のモントラドゥッを中心にする地方で金鉱仕事に従事していた。かれらは金鉱ごとに 事業組織を設けて黄金の生産を行い、地元領主は華人の自治を承認して事業運営と華人町 の秩序管理を行わせた。 サンバス領内に設立された10のコンスはサンバスのスルタンに忠誠を誓い、各コンスは スルタンや王族への貢納を約束した。その結果スルタンは毎月1KGの黄金を手に入れるよ うになった。王宮の重職にも貢納がなされた。[ 続く ]