「インドネシア鉄道史(56)」(2025年12月05日) 上の歴史をまとめると、次のような図になるだろう。 1876 Ulee Lheue - Koeta Radja 1884 Koeta Raja - Lamtehoe - Lam Baroe 1897 Lam Baroe - Samahani - Gle Kambing 1898 Gle Kambing - Seulimeum - Padang Tidji 1900 Padang Tidji - Sigli 1901 Sigli - Beureunum - Meureudoe 1903 Meureudoe - Samalanga - Peudad - Bireuen - Panteh Lhong 1902 Panteh Lhong - Krueng Mane - Krueng Geukueh - Lhokseumawe 1904 Lhokseumawe - Lhoksukon - Pantonlaboe - Idi 1906 Beureunoem - Lam Meulo 1907 Idi - Peureulak - Langsa 1908 Seulimeum - Keude Breueh 1912 Langsa - Kwala Simpang 1917 Kwala Simpang - Besitang - Pangkalan Soesoe アルタント・リスキ・チャッヨノ編纂の「スマトラ鉄道路線地図」(2013)には、アチェの 鉄道建設は1876年のウレーレウェ港から1917年のパンカランスス港まで総延長6 18KMが41年の歳月をかけて行われたと書かれており、その内訳が次のように示されて いる。 1876 Ulee Lheue - Koeta Radja 1885 Koeta Radja - Lambaro 7KM - Sigli 82KM Beureunun - Langsa 319KM Beureunun - Lammeuro 19KM Langsa - Kuala Langsa 9KM Langsa - Kuala Simpang - Semadam 45KM Semadam - Besitang - Pangkalan Susu 37KM Pangkalan Susu - Palutabuhan 9KM インドネシア共和国独立後、国鉄がアチェ鉄道網の運行を続けていたが1976年に起こ ったベンガ川の河川氾濫でシグリの鉄橋が破壊されたためにバンダアチェ〜シグリ間の鉄 道運行が不通になり、その後アチェ分離独立運動の激化や中央政府による軍事作戦地区指 定などの政治要因がからまって1982年には鉄道運行が全面的に停止してしまった。 ピディに本拠を置いた自由アチェ運動Gerakan Aceh Merdekaは1976年から2005年 まで、分離独立を要求して武力闘争を続けた。オルバレジームはその鎮圧のために199 0年から州内での共和国陸軍による治安作戦を開始し、内戦の様相を呈するようになる。 オルバレジーム崩壊でその体制は一旦解かれたものの、2003〜2004年に再度陸軍 の統合作戦が実施されて2005年のヘルシンキ和平合意へと進展していった。 アチェの一般民衆の多くは鉄道運行再開を望んでいるものの、列車が動く気配はいまだに 感じられない。[ 続く ]