「インドネシア鉄道史(57)」(2025年12月06日) アチェの王都クタラジャからピディに向かう90KM弱の鉄道線路敷設はスマトラ島を縦断 するトランススマトラ街道に沿って行われ、その間に25ヵ所の鉄道駅が設けられた。ラ ンバロからシグリまでの鉄道線路が完成したあと、それまでクタラジャに分散して設けら れていた機関車と車両の修理検車工房がすべてシグリにまとめられてバライヤサと今イン ドネシアで呼ばれている鉄道修理センターになった。 アチェトラムはシグリをアチェ鉄道網のセンターにする意向だったようだ。シグリ駅もク タラジャ駅を含む全鉄道駅の中で最高の駅舎として建てられた。インドネシア国鉄が行っ ている全鉄道駅のクラス区分によれば、アチェ州内にある第?級駅はシグリ駅ただひとつ になっている。バンダアチェ駅でさえ第?C級だというのに。 2016年に廃線巡りをルポしていたコンパス紙取材班はバンダアチェからシグリに向か って鉄道線路の跡を見ながら街道を走った。川があるたびに鉄橋を設けるためのコンクリ ート構造物が両岸にまだ頑丈に残っている姿をたっぷりと目にすることができた。ただし 陸上にも川岸にも線路はかけらも残っていなかった。 インドラプリやグレカンビンでは街道の橋と鉄橋がすぐ近くに並んで設けられていた。街 道を走る自動車から鉄橋の上にいる人間の顔がはっきりわかるくらいの距離だ。鉄橋の基 礎コンクリートは完ぺきな姿を保っているというのに、線路や鉄製の鉄橋部品はまったく 姿を消していた。2005年ごろまでは線路がまだあったと地元民は語っている。 シグリの町で、既に閉鎖されて用途転換がなされたバライヤサの周辺に住んでいる住民へ の取材を行った記者は、イルワンシャさん54歳から思い出話を聞くことができた。イル ワンシャは6歳のときにはじめてシグリからバンダアチェまで鉄道で行き、その3時間の 旅を楽しんだ。スラワSeulawah渓谷の美しさは例えようもなかったそうだ。上り下りの急 な場所もあちこちにあって、急傾斜の上り坂では車輪がスリップしないように線路に砂を 撒いている鉄道作業員の姿がかれの記憶に残っている。 機関車はマングローブの木を燃料にしていた。アチェで容易に手に入る火力の強い木がそ れだった。ジャワではチーク樹がそれに該当していた。どちらの木も良い炭を作るための 原料になっていたのだ。1976年に列車運行が停止されたころのシグリ駅の様子をイル ワンシャはその目で見てきた。それまでバライヤサでたいへん活発に営まれていた鉄道車 両の修理やメンテナンス活動が、徐々に火が消えたように寂れて行った。バライヤサの建 物のひとつはとても頑丈に作られていて、2004年の大地震でもびくともしなかった。 今その建物の中はスポーツ活動のために一般開放されており、その表に建てられたスポー ツ会館の一部として使われている。[ 続く ]