「インドネシア鉄道史(65)」(2025年12月14日)

埋蔵量2億トンと推定された豊かなオンビリン炭鉱で産出される高カロリー石炭をブキッ
バリサンの山中からインド洋側の港に運ぶのを最大の目的にして、ミナンカバウの地に鉄
道を敷設することをオランダ本国議会が1887年9月に承認した。ミナンカバウにおけ
る鉄道建設者兼事業オペレータとしてSSはStaatsspoorwegen ter Sumatra's Westkust(ス
マトラ西岸地区国有鉄道会社、略称SSS)という名の現地事業部門を設けてそのプロジェク
トの遂行に取りかかった。

建設工事は旧来からのパダンの港だったプラウアイェPulau Aieで1889年7月6日に
開始され、2.6KM離れた場所にパダン駅が建てられた。このミナンカバウ最初の鉄道プ
ロジェクトはプラウアイェからパダンを経由して北方のパダンパンジャンまでの75KMを
踏破するものであり、全線が開通してから1891年7月1日に開通式典が挙行された。
プラウアイェ〜パダンパンジャン線は次のようなルートを通った。
Pulau Aie - Tarandam - Padang - Air Tawar - Tabing - Duku - Pasarusang - Lubuk 
Alung - Parit Malintang - Sicincin - Kayu Tanam - Kandang Ampat - Padang Panjang

トゥルッバユル港〜サワルント区間全長162.6KMのほぼ中間点にパダンパンジャン駅
がある。トゥルッバユルからの距離は82.5KMだ。パダンパンジャン駅舎は1889年
ごろに建てられて1891年にオープンした。1926年の地震でこの駅舎のペロンの屋
根が崩壊したので、ほどなく木造の屋根に修復されたものの、1985年ごろにトタン板
の屋根に変えられた。

パダンパンジャンの市域は凹凸の激しく波打っている丘陵の高所に位置し、平らなエリア
は2割しかなく、残りは斜面になっている。駅舎は標高773メートルという高みにあっ
て、カユタナム駅が標高144メートルだから、いかにその間の斜面が急ピッチになって
いるかが想像できるだろう。その両駅間は15KMしか離れていない。


一方東インド政庁はパダンから6KM南に離れたバユル湾に最新鋭の港を建設するプロジェ
クトを1888年から開始しており、Emmahavenと名付けられた港の建設工事はKPM
(オランダ王国貨物輸送会社)が請け負って1893年に完成させた。パダンとエンマハ
ーフェンを結ぶ鉄道建設工事は1892年に完了して10月1日から列車運行が開始され
ている。パダン〜トゥルッバユル線のルートはこれ。
Padang - Bukit Putus - Teluk Bayur

パダンパンジャンに達した鉄道線路は更に北方のブキッティンギ目指して敷設工事が続け
られて、その年のうちにパダンとブキッティンギがパダンパンジャン経由でつながった。
Padang Panjang - Pasar Rebo - Kota Baru - Padang Luar - Bukittinggi

この路線のパサルボはかつてPasar Rabaahという名称だったが、鉄道が通るようになって
その地名を使う非地元民が増えてくると、地名に揺れが起こりはじめたらしい。そして結
局一般に受け入れられやすいパサルボに変化したそうだ。パサルボ駅舎は標高979メー
トル、そして5KM先にある標高1,154メートルのコトバル駅と続く。コトバルが西ス
マトラで、いやスマトラ全島で一番高い場所にある駅舎だ。ブキッティンギ駅の標高は9
20メートル。[ 続く ]