「インドネシア鉄道史(67)」(2025年12月16日)

1892年にムアロカラバンまで鉄道列車がやってくるようになると、炭鉱での採鉱作業
も活発化しはじめた。とは言っても炭鉱からムアロカラバン駅までの輸送がネックになる。
鉄道がサワルントの町まで来なければ、いくら採鉱してもエンマハーフェンの港に届くの
はほんのわずかでしかない。

全長835メートルのLubang Kalamトンネルは西スマトラに作られた四つの鉄道トンネル
(アナイ渓谷・パダンパンジャン・サワルント・ムアロカラバン)の中で一番長く、そし
てスマトラ全島でも最長のトンネルという栄誉を与えられている。ルバンカラムに次いで
長いのが1922年に建設された、ムアロカラバン〜パダンシブスッ間のKupitanトンネ
ルで、全長は545メートルと報告されている。

サワルントの町は標高250〜650メートルという高低に富む地形の上に作られており、
この町を懐に抱く巨大な岩山の中を掘り進むトンネル工事はたいへんな時間とエネルギー
を人間に強いた。ルバンカラムトンネルの中には33ヵ所の退避所が設けられている。

サワルント市内パサル町に建てられたサワルント駅舎からほど近い交差点から平坦な地面
をおよそ1キロ進むとルバンカラムトンネルの入り口に達する。そこは市内ルンバスガル
町の一角だ。2016年にそこを訪れたコンパス紙記者のルポには、トンネルの中を覗く
とトンネルの出口から差し込む光が闇の向こうにおぼろな明るさを与えていたと記されて
いた。1894年1月1日にこの路線の開通式典が挙行された。つまりオンビリンの石炭
がエンマハーフェンの港に鉄道で運ばれ始めた記念日なのである。
Muaro Kalaban - Sawahlunto

そんな輸送問題のために鉄道開通前の石炭産出量は小さく、1894年に鉄道が用意され
てはじめてオンビリン炭鉱の石炭産出が大規模に行われるようになった。1930年の生
産量は60万トンに達して、オランダ東インドのエネルギー源の9割をオンビリンの石炭
が担ったという話も語られている。生産のピークは1976年の120万トンで、そのあ
とは下降が続き、2019年に操業が全面的に停止したこともある。


このパダン〜パダンパンジャン〜ソロッ〜ムアロカラバン路線は1986年ごろまで客車
の運行が行われていたが、オルバレジームが執ったモータリゼーション政策の結果ジャワ
島で起こった運行廃止の波が西スマトラにもやってきた。客車の定期運行は消滅し、休日
の観光列車と石炭をメインに運ぶ貨物列車だけがレール上を走るように変化した。

2002年ごろにはオンビリン炭鉱の石炭枯渇が懸念されはじめて貨物列車すら運行が止
まり、観光列車がほそぼそと走るだけになった。そして2009年の地震と2010年の
地滑りの結果カユタナム〜パダンパンジャン区間の運行が停止されて現在に至っている。

穏やかなシンカラッの湖面と山々を眺めながら走るサワルント〜パダンパンジャン区間の
観光列車も客足が遠のいて走りを止めた。2019年にサワルントの町がユネスコ歴史遺
産に指定されたことから、ムアロカラバンとサワルントの間で観光列車が週末や休日に運
行されている。[ 続く ]