「インドネシア鉄道史(68)」(2025年12月17日)

オンビリン炭鉱とエンマハーフェンが結ばれたあと、鉄道線路はブキッティンギから東方
のパヤクンブへ、そして更にもっと奥地のリンバナンまで延長された。この路線は沿線に
あるコーヒー農園の産物と、ブキッティンギに設けられたKNILの軍事基地フォート 
デ コックからの兵員輸送が主眼に置かれていたと解説されている。ブキッティンギ〜パ
ヤクンブ区間は1896年9月15日に開通した。
Bukittinggi - Tanjung Alam - Baso - Padang Tarab - Piladang - Payakumbuh

それから長い期間が経過したあと、パヤクンブからリンバナンへの延長工事が行われて1
921年6月19日に開通している。ところがパヤクンブ〜リンバナン区間は1933年
になって閉鎖された。
Payakumbuh - Simalanggang - DangungDagung - Limbanang

パヤクンブから25?離れた金鉱までロリーの線路が敷かれており、パヤクンブまでの鉄
道路線だけは維持する必要性を東インド政庁は抱えていたように思われる。しかしインド
ネシア国鉄は1973年にブキッティンギ〜パヤクンブ区間の運行を廃止し、1986年
にはパダンパンジャン〜ブキッティンギ区間も列車が走らなくなった。

西スマトラの山地部は傾斜の急な場所が多いためにラック式線路が長い距離にわたって使
われた。カユタナムからパダンパンジャンを経由してバトゥタバルまでの23?と、パダ
ンパンジャンから北に向かってパヤクンブに至る72?の区間でラック式線路が敷設され
たのである。

インドネシア国鉄は蒸気機関車の老朽化に伴って列車をけん引する機関車を蒸気からジー
ゼルに入れ替える方針を立ててそれを行って来た。そのときにどうやら、スマトラとジャ
ワにあるラック式線路が見捨てられたらしい。インドネシア国鉄はラック式線路を走れる
ジーゼル機関車の用意をしなかったために、インドネシアにあったラック式蒸気機関車の
最期がブキッティンギを通る列車の最期を意味することになった。


パダンからサワルントへ、またパダンからパヤクンブへという主要路線ができあがったあ
と、SSSは更にルートを広げる意欲を固めた。次の目的地として白羽の矢が立ったのは古
い港町のパリアマンだった。パダン〜パダンパンジャン路線の途中にあるルブッアルンか
らパリアマンを目指すルートの建設工事が開始された。ルブッアルン〜パリアマン路線の
開通式は1908年12月9日に催された。
Lubuk Alung - Pauh Kambar - Kurai Taji - Cimparuh - Pariaman

このルートも後になってさらに北方のナラス、そしてスガイリマウへと延長されて、終着
のスガイリマウまでが1911年1月1日に開通した。
Pariaman - Apar - Naras - Sungai Limau

しかしナラスとスガイリマウの間に設けられた鉄橋が倒壊したためにSSSはナラスを終着
駅に変更し、ナラス〜スガイリマウ間の線路を1916年に撤去した。

共和国時代に入ってもこの路線は列車の定期運行が続けられ、1998年にパリアマン〜
ナラス路線が閉鎖されたものの、2019年にまた復活している。[ 続く ]