「インドネシア鉄道史(70)」(2025年12月19日)

コンパス紙は西スマトラ州の鉄道建設の歴史を次のようにまとめている。
1891年7月1日 Pulai Aie - Padang Panjang  71KM
1891年11月1日 Padang Panjang - Bukittinggi  19KM
1892年7月1日 Padang Panjang - Solok  53KM
1892年10月1日 Solok - Muaro Kalaban  23KM
1892年10月1日 Padang - Emmahaven  7KM
1894年1月1日 Muaro Kalaban - Swahlunto  4KM
1896年9月15日 Bukittinggi - Payakumbuh  33KM
1908年12月9日 Lubuk Alung - Pariaman  21KM
1911年1月1日 Pariaman - Sungai Limau  14KM
1921年6月19日 Payakumbuh - Limbanang  20KM
1924年3月1日 Muaro Kalaban - Muaro  26KM
1979年11月16日 Indarung - Bukit Putus  13KM
(日付はオープニング)

コンパス紙取材班は2016年にパダンパジャン〜ソロッ間の街道を、鉄道線路を横に見
ながら自動車で走った。言うまでもなく、穏やかで平和なシンカラッ湖の眺望を愛でなが
らの心和ませるトリップになったはずだ。

パダンパジャンを出発してクブクランビルを越えた辺りまで来たものの、湖はまだ見えな
い。バトゥタバルに近付いたころ、やっと湖が見えてきた。しかし鉄道線路は湖岸に沿っ
て走り続けるようには作られていないのだ。タナダタルとソロッの県境地帯になっている
ビテ地区まで来ると線路は街道をまたいで東に離れ、カチャン駅に入った。シンカラッ駅
でも同じことが起こった。駅を湖岸ぎりぎりの位置に設けることができないためだ。

カチャン駅舎はくすんでしまったものの往年の姿を誇示しており、鉄道線路がしっかりと
残されている。近くの住宅に住んでいるダリスベット・ピリアンさんが1991年から1
997年までカチャン駅長の職に就いていたことがわかったので、取材が申し込まれた。
かれは駅舎の傍に建てられた2軒の官舎のひとつに住んでいる。オランダ時代に建てられ
たものだ。

カチャン駅から首都圏に転勤になり、老齢退職期まで勤めて故郷のカチャンに戻って来た
とき、この路線は既に運行が廃止されていたとかれは語った。国鉄は駅舎と2軒の官舎を
維持することに決めており、だから今はそのひとつに自分が住んでいるとかれは言う。こ
の家も作られたときのままの構造が保たれている。

シンカラッ駅舎も似たような状態で、手入れされていない周囲がお化け屋敷を思い出させ
る。駅舎周辺の住民は一様に、鉄道運行の復活を望んでいることを表明した。サワルント
やパダンへ行くための廉価な交通機関がオプションとして存在することを庶民は希望して
いるのだ。

シンカラッ駅から13?南方にソロッ駅がある。駅にはスイスから輸入された1993年
製の蒸気機関車が2台置かれていた。2009年3月1日から開始されたパダンパンジャ
ン〜シンカラック〜ソロッ〜サワルント観光列車の企画遂行のために用意されたものだっ
た。しかし採算性の弱さが夢を打ち砕いた。観光列車企画はシンカラッ湖を諦めて201
2年にソロッ〜サワルント区間に限定されたにもかかわらず、2年後にまた同じ結論が繰
り返された。

空っぽの観光列車を走らせる方式は2015年に予約制に切り替えられた。つまり列車を
チャーターしろと言うわけだ。個人消費者はたいてい二の足を踏むだろう。こうして鉄道
線路の上を客車が走ることがなくなった。

パダン鉄道技術館データによれば、西スマトラ州の鉄道線路総延長は353.114KMで、列車
運行が行われているのはそのうちの107.221KMとなっている。[ 続く ]