「インドネシア鉄道史(71)」(2025年12月20日) スマトラ島の鉄道網建設は北から南に下ってきたように見えるものの、意図的に行われた ものでは決してないだろう。アチェ戦争で、デリ農園で、スマトラ島鉄道網など微塵も考 えないひとびとが鉄道建設を始めたはずだから。 スマトラ島における広域鉄道網建設のアイデアは1903年に南スマトラ・ブンクル・ラ ンプンの地方部で穫れる農産物や鉱物などの物産を東や南の港に輸送し、また沿線住民を 乗客として運ぶという構想の形で始まった。その構想を実行するに当たって国有鉄道会社 Staatsspoorwegenが現地事業部門を設けて鉄道建設工事と列車運行オペレーションに当た らせた。 その会社はZuid-Sumatra Staatsspoorwegen南スマトラ地区国有鉄道会社(略称ZSS)、ある いは別の形式を使ったStaatstramwegen op Zuid-Sumatra (SZS)という社名でも呼ばれて いる。 スマトラの全島を網羅する鉄道網建設のアイデアは1910年ごろに固められたようだ。 その計画に基づいて地図が作られた。ブキッバリサンの東側を南北に貫通する幹線が各地 に設けられた既存の局地的な鉄道網と連結して本流と支流の網を張り巡らせるのである。 1924年にZSSの南スマトラ地区路線網がラハッに達したとき、ZSSは鉄道車両修理検車 場をラハッに設けた。南スマトラ地区のセンターに位置付けられたプラブムリではなかっ たのだ。鉄道建設計画者が南スマトラ地区だけを見て仕事していなかったことをそれが示 しているように思われる。 ZSSが最初に行った鉄道線路敷設工事は、オランダ人がOosthavenと名付けたランプン南岸 のパンジャン港とバンダルランプン市内中心部のタンジュンカランを両端にする12KMの 路線であり、その路線が開通して初列車が走ったのが1914年8月3日だった。 1914年8月3日 Panjang - Garuntang - Pahoman - Tanjungkarang (日付は開通日) そのガルンタン駅から3KMほど離れたトゥルッブトゥンに1921年に支線が伸ばされた が、1970年代にインドネシア国鉄がその支線を閉鎖した。 1921年5月27日 Garuntang ? Telukbetung パンジャン港とバンダルランプンの町が結ばれたあと、ZSSはパレンバンとプラブムリを 結ぶ鉄道路線の建設に取り掛かった。全長78KMのこの路線が開通したのは1915年1 1月1日だった。 1915年11月1日 Kertapati - Kramasan - Simpang - Payakabung - Serdang - Glumbang - Karangenda - Lembak - Cambai - Prabumulih それに並行してランプン側から北の内陸部にある南スマトラ州プラブムリに向けて、次の ようなルートで線路が延ばされていった。 1915年3月1日 Tanjungkarang - Labuhanratu 1915年11月1日 Labuhanratu - Gedungratu - Rejosari - Branti - Tegineneng 1917年2月1日 Tegineneng - Rengas - Bekri - Haji Pemanggilan 1918年2月1日 Haji Pemanggilan - Sulusban - Blambangan Pagar 1921年1月2日 Blambangan Pagar - Kalibalangan - Candimas - Kotabumi 1923年6月1日 Kotabumi - Cempaka 1926年5月1日 Cempaka - Ketapang - Negararatu [ 続く ]