「インドネシア鉄道史(72)」(2025年12月21日)

一方、北のプラブムリからもバンダルランプンに向かう工事が開始され、途中のヌガララ
トゥでランデブーする計画が組まれた。
1922年9月15日 Prabumulih - Tanjung Rambang - Sukamerindu - Pagar Gunung 
- Kotabaru - Metur - Talang baru - Peninjawan
1923年7月1日 Peninjawan - Lubuk Rukam - Durian - Kepayang - Belatung - 
Lubuk Batang - Tigagajah - Baturaja
192511月16日 Baturaja - Kemelak - Sepancar - Gilas - Martapura
1927年3月21日 Martapura - Way Pisang - Way Tuba - Tanjungrajo - Giham - 
Blambangan Umpu - Negeri Agung - Tulungbuyut - Negararatu
こうしてパレンバンとバンダルランプンというふたつの州都の間を鉄道が走るようになっ
た。

そのプラブムリ〜タンジュンカラン路線の建設が進められている傍らで、東インド政庁は
タンジュンエニムからほど近いアイルラヤで発見された巨大な石炭資源を掘り出すべく、
プラブムリの南西に位置するタンジュンエニムに向けて鉄路を延長させた。この路線はま
ず西に向かってグヌンムガンまで進み、そのあとルマタン河沿いを南下してムアラエニム
に達してから炭鉱を目指した。この路線は次のようなルートをたどった。
1916年12月1日 Prabumulih - Penimur - Niru - Blimbing Pendopo - Tanjung 
Terang - Gunung Megang
1917年4月2日 Gunung Megang - Penanggiran - Muara Gula - Muara Enim
1919年9月1日 Muara Enim - Karangraja - Lingga - Tanjung Enim
タンジュンエニム炭鉱の採掘は鉄道がやってきた1919年から開始された。最初は露天
掘り方式で行われていたが、1923年に坑内掘りに変更されている。

ムアラエニムに達していた路線は1924年にラハッへ延ばされた。ムアラエニム〜ラハ
ッ間の列車運行開始は1924年4月21日だった。
1924年4月21日 Muara Enim - Banjarsari - Merapi - Suka Cinta - Lahat

LahatとAerkeroの間でトンネル工事が行われ、全長300メートルのグヌンガジャトンネ
ルが1925年に完成した。ラハッからルブッリンガウへの路線延長は少し間を置いて実
施されたようだ。ラハッ〜トゥビンティンギ区間は1930年に開通している。
1930年 Lahat - Aerkero - Bunga Mas - Sukaraja - Saung Naga - Tebing Tinggi
サウンナガ〜トゥビンティンギ間でもトンネル工事を強いられ、長さ430メートルのト
ゥビンティンギトンネルが1930年に完成した。
1932年11月1日 Tebing Tinggi - Tanjungning - Tabakebun - Muara Saling
1933年6月1日 Muara Saling - Kota Padang - Lubuk Blimbing - Lubuk Linggau
こうして南スマトラ州とブンクル州の境界に位置するルブッリンガウまで鉄道が届き、ブ
ンクルの物産もスマトラ島南部地区の東や南にある港まで運ばれるようになった。

この南スマトラ地区鉄道網はほとんどの路線が現在も使用されている。現在使われていな
いのはパンジャン〜タンジュンカラン区間くらいのものだ。[ 続く ]