「ナイトトレイン(1)」(2025年12月21日)

寝台特急列車ビマ号が1967年6月1日からジャカルタ〜チルボン〜プルウォクルト〜
ソロ〜マディウン〜スラバヤというルートで運行を開始した。最初はヨグヤカルタに停ま
らなかったが数年後にジョクジャに停まるようになったという解説がある。このビマ号は
オランダ時代の1939年から同じルートを走った寝台特急列車のJava Nacht Expressを
再現させたものだったようだ。

ビマ号の客車には一等車と二等車があり、一等車は広いコンパートメントと広い通路を備
えていて、乗客はワイドな窓が提供する美しいパノラマを心ゆくまで眺めることができた。
とは言っても夜行列車なのだから、見えるのは夜景と夜空くらいかもしれない。

一等車のコンパートメント内には衣服タンスと洗面台が備えられ、進行方向に向いた座席
は折り畳みベッドになった。二等車は一等車に比べてコンパートメントも通路も狭く、コ
ンパートメント内のベッドは三段になっていた。通路には喫煙所が設けられていた。

ところがヨーロッパの国際列車のようなコンパートメントスタイルの寝台車は使われなく
なって、1985年に寝台のない座席ばかりの客車に入れ替えられた。その理由を社会妬
視が招いた乗客のヴァンダリズムが豪華な車内を荒らしたためと解説しているイ_ア語論
説が見られる一方、閉ざされたコンパートメントの中で赤の他人同士が一緒に眠ることを
インドネシア文化のメンタリティが嫌ったために利用者が減ったことが原因と語っている
ものもある。

前者の説だと車両変更の直前までたくさんの乗客が乗っていたことになるだろうし、後者
の説であれば車両変更の直前はガラガラだったように思われる。実際の現象はどちらだっ
たのだろうか?

ビマ号が寝台の無い夜汽車になったために、インドネシアの鉄道線路の上を走る寝台列車
はその後数十年間姿を消した。ビマ号は寝台のない普通の座席ばかりの客車を引いて、夜
中から朝まで運行を続けた。鉄道に関するかぎり、寝台というものが単なる贅沢品だった
ことを物語っているのがこのビマ号のできごとだろう。


ビマ号のほかにも、長距離を走るエコノミー列車の中に夜を徹して走る夜汽車がたくさん
ある。そんな寝台のない夜汽車の中で乗客は眠りをむさぼる。昔のインドネシアの夜汽車
の中は乱雑で行儀の悪いものだった。その傾向は今でも残っている。ただまあ、その状態
を行儀が悪いと言う一片のモノの見方で済ませてよいのかどうか迷うところだ。見方を変
えるなら、自己快適を第一優先にし、そこに相見互いの譲り合い精神を加えたものと見る
こともできなくはない。インドネシア人一般にとって、行儀のよい外見的な秩序整然さな
ど自己快適さの前では泡沫の夢にすぎないのである。

社会秩序がライフセキュリティに直接かかわっていない場合であっても、自己快適さを押
し殺してまで見た目に美しい整然たる公序を第一優先しなければならないのだろうか。相
互の譲り合いを踏まえて自己快適さを優先できる社会は社会構成員を幸福感で包むだろう。
世界で一番幸福な民族と言われているのは誰だっただろうか?

社会の中に発現する形態はその社会を律する価値観が生み出しているものであり、その形
態を作り出す人間行動が一般に文化ビヘイビアと呼ばれているものだ。目に見える公的社
会的な秩序を整えることを高位に置いた文化は人間に、もちろんケースバイケースである
とはいえ、自己快適優先ビヘイビアを抑圧する傾向をもたらすにちがいあるまい。他人と
同じビヘイビアを整然と行って良く整った社会の姿を生み出せと言うのである。個人個人
が幸福感を得る道はそのときに閉ざされてしまう恐れが高い。

狭いエコノミークラス旅客機の座席の真ん中に座らされたあなたは、左右の席に座った西
洋人があなたの両サイドの肘掛けにそれぞれ自分の肘を載せたことで、かれらの自己快適
優先ビヘイビアを呪うはずだ。そんなときにインドネシア人なら、どちらかひとりの顔を
覗き込んでスマイルし、肘をどけてくれと言うだろう。たとえ言葉での意思疎通ができな
がったとしても、ジェスチャーでそれを伝えようとする。

世界の狭い範囲しか目にしたことのないわたしだが、世界の様子はそれが普通であるよう
に見える。生きている幸福感を自分が得るためには、赤の他人の心の中に自分の頭を突っ
込まなければならないことが起きるのだ。快適な社会を構築するためにひとりひとりが自
分のあり方を統御統制して滅私定律し、赤の他人の心の中に頭を突っ込まなくても良い社
会様式を洗練させてきた極東のある国は、異文化の価値観に従って生きている異文化人と
の同調に困難をきたす人間を作り出すようになってしまったのではあるまいか。[ 続く ]