「インドネシア鉄道史(73)」(2025年12月22日) ジャワであろうがスマトラであろうが、オランダ時代の鉄道が貨物を主で乗客を従として いたのに比べて独立後は貨物の量が減少したためにその比率が大きく変化した。 オランダ時代にはオランダ王国の貿易活動という枠の中で植民地東インドからの輸出が行 われていたのである。その大枠が外されてインドネシア共和国の行う貿易活動の中にイン ドネシア各地の物産が置かれるようになったとき、昔のように行かなくなる現象が随所に 発生したはずだ。 オランダの支配下に落ちる前は東や西にある諸国の商人が船に乗って買いに来た。その状 況がオランダ人に独占される形に変わり、オランダ人がプリブミから物産を取り上げて販 売し輸出するようになった。独立共和国になったときにはじめて、インドネシア人プリブ ミが自分たちの物産を販売しに行かなければならない状況が始まったのである。 インドネシアの鉄道はオランダ人の行う輸出活動に最適なあり方で構築された。インドネ シア共和国はそれまでと異なる、大きく変化した環境の中で鉄道システムを引き継いだと 言えるだろう。貨物が減って乗客のウエイトが大きく上昇した。鉄道は国民の移動性を支 援するための公共福祉機関という性質を強めるようになり、国家予算が与える補助金の許 すかぎり国民の足として動かさなければならないものになった。モータリゼーションの波 に襲われるまでは、それでもなんとかなっていたようだ。 ルブッリンガウからパレンバンに向かう鉄道の旅をコンパス紙記者が2003年7月にル ポした。そのころ、ルブッリンガウ〜パレンバン線を走る乗客列車はエコノミーのスレロ 号とエグゼクティブ列車のシンダンマルガ号の二本だけ。 スレロ号はパレンバンのクルタパティ駅を午前9時0分に発車し、逆方向のルブッリンガ ウからは午前8時0分に発車する。エグゼクティブ客車1両とビジネス客車6両および食 堂車で構成されているシンダンマルガ号はクルタパティ発が21時0分、ルブッリンガウ 発は20時0分。 パレンバン〜バンダルランプン線は一日の運行列車数がもっと多い。エグゼクティブとビ ジネス客車を引くファジャルウタマI号と?号が朝出発する。そして終着駅に着くと、夜 行列車になってとんぼ返りしてくる。そのときにリメクススリウィジャヤI号と?号に名 前が変わり、乗車料金もファジャルウタマより高くなる。エコノミー列車はエクスプレス ラジャバサ号が昼間だけ運行している。[ 続く ]