「インドネシア鉄道史(76)」(2025年12月25日) 一方、イ_ア語ウィキペディアのSTCの項には停車場リストが次のように記されている。 Station Pasarboetoeng ? Station Makassar ? stopplaats Schijfbregweg ? Halte Mamadjang ? Halte Djongaja ? stopplaats Mallengkere ? Halte Soenggoeminasa ? stopplaats Tjambaja ? stopplaats Kalukuang ? stopplaats Aengbatu ? Halte Limbung ? stopplaats Ba'dok ? stopplaats Rappokallereng ? Halte Pallekok ? stopplaats Manongkoki ? stopplaats Bontomate'ne ? stopplaats Parikrisik ? Halte Pattalassang ? stopplaats Pa'rasangaberu ? Station Takalar stasionとは駅舎があり、駅員がいて、切符販売が行われ、またレストランやトイレなど の設備もそろっている施設。 halteとは乗客を乗り降りさせるために車両が停まる場所で、ベンチやサインなど最小限 の設備がある。駅員がいる場合もある。 stopplaatsとはハルテよりも設備がもっと簡素な場所。 この情報を見ると、列車はパサルブトゥン→マカサル→シェイフブレフヴェフという順路 を取るような印象を受けるのだが、先に掲げた路線解説の項に従うとパサルブトゥン→マ カサル港とパサルブトゥン→シェイフブレフヴェフ→・・・は別の線路になっているよう に思われる。 コンパス紙が2016年に企画した全国廃線鉄道ルポシリーズの中で、オランダ時代に姿 を消したマカサル〜タカラル線も現地取材が行われた。その記事の中に上の謎を解く鍵が 見つかった。 その記事に掲載されている地図を見ると、タカラル方面からマカサル市内に北上して来た 鉄道線路は現在のJl Bandangの通り沿いを道路の端まで進んでからJl Tentara Pelajar沿 いにカーブして西に向かい、パサルブトゥンの市場に至る。パサルの東側には鉄道車両の デポが設けられており、そこで修理とメンテナンスも行われていた。 線路はパサルブトゥン駅からさらに西に進んでJl Nusantaraにぶつかる。線路はそこから 北へ伸びてUjung Tanah地区に達し、西に曲がってマカサル港駅にたどり着く。そのマカ サル港が現在のマカサルコンテナ港なのだ。ということは上の最初の情報が正しくてふた つ目の情報が間違っていると誰しも思うだろうが、実はそうでない。 コンパス紙の記事によればマカサル港駅とは別に、マカサル駅が市内のパサルブトゥン駅 とシェイフブレフヴェフ駅の間にあったそうだ。しかしそのマカサル駅舎は今や跡形もな く消滅してしまったらしい。そうしてみると、市内のマカサル駅が乗客用ターミナル駅で、 その先のパサルブトゥン駅〜マカサル港駅は貨物輸送を主体にする駅として設けられたよ うな印象を受ける。鉄道車両デポがパサルブトゥン駅とマカサル市内駅のあいだに設けら れていたというポイントを捉えて考え合わせるなら、そこはもう乗客の目の届かない舞台 裏という定義付けがなされていたと考えられるのである。 この路線はジャワやスマトラと違って、乗客輸送に格別のアテンションを払っていたそう だ。朝6時出発の便は往々にして遅延を起こした。乗客が少なすぎるためにもっと客が入 るまで出発を引き延ばすということが行われていたと語られている。取材班はマカサルか らさらにタカラル駅まで足を延ばした。[ 続く ]