「ナイトトレイン(7)」(2025年12月27日)

ところがインドネシア語のrasa memilikiという語句は人間が組織や集団を我が物として
所有する暗意を持っているという解釈をたいていのひとがするのではないだろうか?なぜ
なら「所有する」という言葉は所有者がサブジェクトになり、人をはじめ生き物を含めた
所有物が所有者のオブジェクトになるという関係性を想起させるからだ。だから日本語と
インドネシア語の間では、組織や集団とその構成員間の位相、あるいは関わり方の方向性
が逆転しているように感じられるのである。

方向性が正反対になっているその感覚は公共設備を大切にするという表現の中に使われた
milikと共通している。そのポイントについて日本人の多くは「自分の所有物なら大切に
するが、そうでなければどうなろうが知ったことではない」という解釈をしがちになるよ
うに思われる。

わたしはその思考傾向について、インドネシア文化が持つ原理の中にそれが存在している
のでなく、インドネシアで目にした現象に向けて日本人が日本文化の価値観を投影させて
眺めているだけのものではないかという気がしている。あたかも実体のように目に映って
はいても本当は蜃気楼であるという例えを想像していただきたい。

ケンブリッジ英語辞典にはbelongingsの意味がこう記されている。
*the things that a person owns, especially those that can be carried :
*the things that you own, esp. those that can be taken with you:

メリアムウウェブスター英語辞典ではこうなっている。
1 : possession 
2 : close or intimate relationship

日本語で帰属と翻訳された英語belongingsの語義がownやpossessで述べられていることが
そこから判る。英語のownやpossessに対応するインドネシア語はmemilikiやmempunyaiな
どであり、sense of belongingsがrasa memilikiにインドネシア語訳されることにそれほ
どの違和感は生じない。ところが日本人にとって「帰属意識」と「rasa memiliki」の間
では上で見たように主客の位相が逆転しているように感じられるのである。

「あるポジションに置かれている状態」を示す英語のbelongという言葉が持つ語感宇宙の
一フェーズを捉えて企業忠誠心を発起させるために翻訳された日本語の「帰属意識」と語
義操作の結果作られたインドネシア語「rasa memiliki」の感覚的な齟齬がこうして生ま
れたのではないかというのがわたしの推察なのである。


その分析を踏まえてfasilitas umum dianggap milik sendiriという表現にもう一度目を
移してみようではないか。「公共財物を大切に扱うためにそれを私物と見なす」という翻
訳が本当に正しいのだろうか?そのロジックは確かに「私物なら大切にし、公共物はどう
なろうが知ったことではない。」という帰結を引き出してくる。そしてそこからインドネ
シアの伝統文化の中にそういう観念があるので、インドネシア人の社会生活態度はそのよ
うに歪んだものなのだという判断に向かう。

だが「私物なら大切にし、公共の財物ならどうなろうが知ったことでない」という原理が
インドネシア文化の中にあるという仮説には難点がある。そもそも私物ですら大切にしな
い人間が掃いて捨てるほど大勢いる事実をわたしはインドネシアで目にしているのだ。そ
ういう実相を知っているインドネシア国鉄の幹部がそんな意図でその言葉を述べるはずが
ないと言う気がわたしにはするのである。[ 続く ]