「ナイトトレイン(終)」(2025年12月28日) 3億人近いインドネシア人の中に「自分の持ち物だから大切にし、そうでない物はどうな ろうが知ったことでない」という姿勢で生きている人間がひとりもいないとわたしが力説 しているわけでは決してないのだ。そりゃあきっと何人もいることだろう。しかしそうい う文化ビヘイビアを作り出すような社会的価値観が確固に存在し、文化構成員がその価値 観を高く捧持して社会生活が営まれているような姿はインドネシアの中に見つからない。 私物でない物よりも私物を大切にするというのはケースバイケースの程度問題であり、国 民全部がそんな姿勢で暮らしている国など存在しないように思われる。社会生活における 見栄のために自分の私物を粗末に扱って見せるようなことはどこの国へ行こうが行われて いるはずだ。インドネシアだけが特別にそんな現象がないなどと考えるのは観念論主義者 の実態知らずだろう。 つまりmilik sendiriという句を公物私物という所有権の関連からのみ解釈し、人間の本 性として成り立ちそうにない観念を仮設として成り立たせてしまった脳内プロセスが間違 いの元だったのではないかということだ。異文化社会にある人間生活の実相に触れたこと のない人間が躓きがちな陥穽だろう。 rasa memilikiという語句が発散している語感に対して日本人が抱く、それにふさわしい 対応語として「所有感覚」という言葉を思い出さないだろうか。英語で言うならsense of ownershipになるだろう。 日本語における帰属意識とオーナーシップ、あるいは英語のsense of belongingsとsense of ownershipは、サブジェクトと対象物が形成しているひとつの状況を別々の視点から 逆の方向性で見ている概念であるような気がわたしにはする。ただしそれは日本人的な発 想であって、インドネシア人一般がわたしのような語感覚でこの問題を見るかどうかはわ からない。 ともあれ、インドネシア国鉄が利用者に訴えたfasilitas umum dianggap milik sendiri という語句を所有権意識から切り離してオブジェクトに関わっていく人間の精神という面 から見たとき、その語句が語っている内容は「公共の財物に対するオーナーシップを持て」 という意味合いが浮かび上がってくるように思われる。 英語ownershipに対応するインドネシア語はkepemilikanであり、インドネシア語大辞典K BBIはkepemilikanの語義をperihal pemilikanと解説している。一方、pemilikanの語 義はproses, cara, perbuatan memilikiと説明されている。所有するプロセス・方法・行 為を事柄として述べているのがkepemilikanという言葉でなのあり、名詞ownershipはこの kepemilikanという概念の中に含まれているひとつのフェーズなのだ。 つまり国鉄の表明を日本語にする際、dianggap milik sendiriを「自分の物と見なす」と いう逐語訳にせず、「オーナーシップを持つ」というそこでの文脈に最適な意訳がなされ るべきなのである。翻訳という作業の何という難しさだろうか。翻訳という仕事を辞典が 示す対応語に置き換える作業に終わらせてはならないのである。安易な翻訳は異文化誤解 を促進させるばかりだろう。[ 完 ]