「バタヴィアのフレンチクオータ(14)」(2026年01月14日) 1972年にパサルタナアバンは3階建ての四つの建物に作り替えられた。その後二度大 火に見舞われ、1990年にまた改築が行われている。2002年には拡張工事が行われ てパサルはAからFまでの6ブロックを構成する建物群になった。本来の敷地から道路を 超えて向かいの敷地にまで建物が作られ、パサルタナアバンはその規模をどんどんと広げ ていったのである。 2013年には市場周辺の歩道や道路、駐車場や空きスペースを埋め尽くしていたカキリ マ商人たちを収容するためにGブロックが隣接する敷地内に設けられた。パサルタナアバ ンの規模がまた増加したことになる。 21世紀に入ったころ、タナアバン市場は一日当たり1万人の来場客があり、一日百億ル ピアの商売をしていると言われた。1980年代にインドネシアの繊維産業が大きい伸び を示したころ、世界の諸国から買付け人がタナアバン市場にやってきて、仕入れた商品を コンテナ詰めして送り出してから帰国するようなことが行われていた。 タナアバン市場は拡大の一途をたどり、市場自体の拡張の余地がなくなってからも、周辺 エリアにそのスペースを広げることは続けられた。さらには商品売買ビジネスを補完する 倉庫・オフィス・発送業などがカンプンバリやクブンカチャン地区に広がり、タナアバン 市場は全周辺エリアを巻き込む一大商業センターにのし上がっていった。市場内のテナン ト料金は平米当たり1億ルピアを超えていたと語られている。 地図ではおよそ250x150メートルの敷地面積を持つタナアバン市場の規模はその敷 地の外まで広がっているために標準数値を示すイ_ア語ネット情報が見当たらない。フィ ンクがオープンした市場は2.6Haだったそうだから、少なくとも5割増しにはなってい る。ましてや、中核を占めるブロックA建物は7階建てであり、売場床面積が何百倍に膨 れ上がったのかは想像するしか方法がない。東南アジア最大と言われているこの市場の施 設面の数値把握ができないのも隔靴掻痒だ。 2017年のコンパス紙記事によれば、AからGまでのブロックに分けられた巨大なタナ アバン市場の建物には1万6千の売場があり、一日当たりのターンオーバーが8百億ルピ ア前後と示されているものの、ジャカルタ商工会議所副会頭がその年に語ったタナアバン 市場の状況は、正式に登録されたテナントオーナーが3万人おり、かれらの1日当たりの 売上は2千5百億ルピアと推測される、という内容になっていた。 タナアバン市場のGブロック裏の土地では毎週月曜と木曜にタシッマラヤ縫製品業界が市 を開いているし、市場域内の駐車場や路上でカキリマ販売者が行っている商売まで加えた らこの市場でどれほどの金が回っているのかは想像もつかないほどだ。 タナアバン市場ブロックBの一画でバティッ布を販売している店は毎月布巻物百本をマレ ーシアから来る買付け人に販売している。別の売場のオーナーはパダンやパレンバンのソ ンケッ生産者やジュパラのヌサトゥンガラ織布生産者の製品を委託販売している。 ジャカルタ一円ばかりか、スマトラやスラウェシなど他の島からもテキスタイルを買うた めにひとびとはタナアバン市場を訪れる。市場にやってきて買い物する消費者は一日に1. 5〜2万人にのぼる。ジャカルタコミュータラインのタナアバン駅乗降客は2015年が 一日7万人だったが、2017年には一日10〜12万人になったそうだ。このエリアの 住民人口は統計数値が18万人程度とされているものの、日中の人出は住民人口の2倍を 超えているのではあるまいか。 と言うのも、市場の外で市場を取り巻いているエリアにブティックや繊維衣料品を販売し ている店は山ほどあり、また至る所にいるカキリマ商人も同じような品物を販売している から、市場に入らなくてもテキスタイル製品を買うことができる。つまり買い物のために タナアバン地区にやってくる人数はパサルが公表している来場者2万人程度をはるかに上 回っているのではないかとわたしは推測するのである。 わたしの体験を思い返せば、タナアバン市場内での買い物にタワルムナワルは不可欠であ り、市場内で何かを買い物するのであれば先に市場の外の店でタワルムナワルを行って相 場の感覚をつかみ、そのあとで市場内に入ってタワルムナワルを行えという秘伝を友人の インドネシア人から教えられた。確かに、相場感を持っていなければ市場の外の店の販売 価格より高い金額を市場の中で払うことになる可能性は小さくない。[ 続く ]