「憧れの国際人」(2026年01月18日) ライター: インドネシア語文法学者、リー・チャルリー ソース: 2010年10月22日付けコンパス紙 "Besi Berani" 外国語を使う方が実用的・シンプル・カッコ良いということで、われわれはbesi berani、 kereta angin、mawarなどの語彙をmagnet, sepeda, rosに置き換えてしまった。ilmu hayatはbiologi、ilmu bumiはgeologiに。今の子供たちはseni suaraやtata bukuという 言葉を聞いたことがないだろう。そういう教科名称が昔はあったのだ。いまの子供たちは musikologiやakuntingを学んでいる。内容は同じなのだが耳への響きが良い。 あらゆる帰結を受け入れるつもりでその決心がなされたはずだ。田舎っぺ風でなくモダン な言語になるのが、後進的であり続けることよりも大切だったからだ。国際的によく知ら れているtemperaturを使うほうが、簡潔なsuhuという言葉よりも良いとわれわれは考え、 科学記号としてTの文字を使うようにさえなった。frequencyという言葉に相当させてわ れわれはkekerapanという語彙を用意したものの、何の意味もなかった。だれも使おうと しないのだから。 darah tinggi, kencing manis, datang bulanなどがまだ使われているのはうれしいこと だが、それでもhipertensi, diabetes, menstruasi/haidに押され気味だ。kopi susuにピ ッタリの英語がなかったのは幸いだった。milk coffeeはほとんど耳にしない語彙になっ ている。インドネシア語の語彙の中に個性的でユニークなものがあるのだから、抹殺され てはもったいない。たとえばburung hantu, wayang orang, pencuci mulutなどの言葉が 消えて行くのは残念至極なのである。 boilerがmesin uapの代わりに使われるようになっても、boilerはto boilから派生した言 葉だということをそこから学ぶのであれば、目くじらを立てなくてもいいだろう。 インドネシア語の実態はごちゃごちゃしたものでなく、たくさんの概念が言葉を組み合わ せて作られているのだ。その結果として長い語彙や語彙の組み合わせといった形態になる が、意味はたいへん解りやすい。たとえばmesinやjuruという言葉でさまざまな新しい概 念を示すことができる。printer = mesin cetak, chopper = mesin cacah, slicer = mesin iris, salesman = juru jual, collector = juru tagih, sniper = juru tembakというよ うに。 短い単語を優先しようとする姿勢にはあまり意味がない。rumah susunとapartemenは同義 語になっているが、二語より一語が良いというのも考えものだ。政府が低所得層向けアパ ートを賃貸専用のRumah Susun Sederhana Sewa(略称ルスナワ)、売却専用であるRumah Susun Sederhana Milik(略称ルスナミ)という名称で打ち出してきたから、rumah susun (rusun)の語感が貧困化してみんなアパルトメンを使う方を好むようになった。自分の積 層住宅プロジェクトをルスンと呼ばれたら、大型デベロッパーはひっくり返って悔しむだ ろう。 われわれの使う言葉が国際語になるように望むのなら、じっくり考えなければならない本 質的な問題がある。数字を書き表す際に使う[.]と[,]の使い分けだ。われわれは三桁の位 取りに[.]を使い、小数点の前に[,]を使っているが、英語はその反対なのだ。この問題に 気が付いていないひとはとんでもない間違いを犯す可能性がある。 この問題についてわれわれはイギリス式の用法に合わせて行かざるを得ないだろう。上海 製の電卓もコンピュータのエクセルプログラムも、すべて英語式になっているのだから。 10.000,00は間違っていると解釈されて、正しく計算されない。10,000.00と書かなければ 計算作業の対象に入れてもらえないのだ。これほど重大な問題はないはずなのだが、いっ たいどうしたことか、徹底的に議論し尽くされたことがない。