「コーヒーが絵具(前)」(2026年01月19日)

夕方、中部ジャワのルンバン県ラスムの街中にあったそのコーヒーワルンは混んでいた。
多分それが毎日繰り返されている姿なのだろう。中年の男たちが来店客の大半を占めてい
る。コーヒーをすすり、クレテッタバコをくゆらせ、連れとの談笑が生み出すざわめきが
紫煙と一緒にワルンの表まで流れ出ていく。

奇妙な作法でコーヒーを飲んでいる客がいた。カップを自分の口に持って行かず、コーヒ
ーをカップから皿に移し、それをゆっくりすすっている。オランダ人がプリブミを差別す
るために躾けた習慣だと言うインドネシア人もいれば、熱いコーヒーを早く冷ますための
手段だと解説するインドネシア人もいた。インドネシア人は概して猫舌だということもよ
く耳にする。


客のひとりがタバコを一本取り出して、吸い口を下にして机の上でトントンと弾ませた。
ところがそのあと、ライターを出して火を点けるのでなく、かれは爪楊枝を手にしたので
ある。そしてカップの中にあるコピトゥブルッの残り滓を爪楊枝の端に付けてタバコを巻
いてある紙に塗り付けはじめた。どうやら何かの絵柄を描いているようだが、傍目からは
その俄か画家が何を描いているのかよくわからない。多分、かれの頭の中にだけ、その像
が映っているのだろう。

その作業が終わってはじめて、かれはライターを取り出して手に持っているクレテッに火
を点けた。満足そうに喫煙し、煙を吐き出している。きっと人生の至福のひとときなのだ
ろう。ラスムをはじめとしてジャワ島中部北岸にあるムリア半島周辺の町や村では、どこ
へ行ってもそんな手慰みを目にすることができる。

仕事をして体を動かしたあと、男たちは熱く甘いコーヒーを飲む。そのあと、クローブを
主体に混ぜて作られたフレーバータバコである甘いクレテッをくゆらせる。だが火を点け
る前にクレテッにコーヒーの風味を加えてやれば、豊かさはもっと高まるにちがいあるま
い。しかもクレテッの巻紙にただコーヒー滓を塗り付けるのでなく、マッチの軸や爪楊枝
の端で点描すれば絵や模様を描くことさえできる。創造力を働かせて絵や模様を描くこと
で多少とも精神面の豊かさの高まりをも感じることができる。

至福のひとときの中にアート心を織り交ぜてやれば、幸福感は膨れ上がろうというものだ。
ムリア半島一帯に定着したこの風習は生きることを楽しもうとする人間の貪欲さに支えら
れているのではないだろうか。

その手慰みをジャワ人はkopi leletと呼んでいる。ジャワ語のレレッは指で塗り付ける動
作を意味しており、図や絵柄を描く語感はあまり感じられない。そのために達人が素晴ら
しい絵や模様をタバコに描いてもコピレレッと呼ばれることになる。コピレレッの愉しみ
は、クレテッにコーヒー風味を添えるというようなことよりはるかに描画の技がもたらす
センセーションに尽きているとかれらは物語っている。[ 続く ]