「コーヒーが絵具(後)」(2026年01月20日) まったく同じ行為が東ジャワ南部のトゥルンガグン地方一帯でも盛んに行われている。東 ジャワでは主にcetheと呼ばれていて名前が異なっているが、手慰みの内容には違いがな い。チェテというジャワ語は残り滓を意味しているので、絵具を指す場合にはkopi cethe という表現になる。一方、このアート自体を言う時はチェテだけで十分なようだ。中部ジ ャワではコピレレッと言わなければアート自体の名称にならないだろう。 トゥルンガグンでも、コーヒーワルンはラスムで見たのも同じような光景に満ちている。 どの客もみんな自分が飲んだコーヒーでチェテを行うのが当たり前と店側は見なしている のだ。 このチェテもしくはコピレレッがアートであるがゆえに、達人が作品を作って販売するよ うになった。クレテッタバコの巻紙に図柄や文字あるいは画像、時にはバティック模様、 が茶色で描かれたものを吸っているひとがいたら、かれが吸っているのがチェテなのであ る。人間というのはそのようにして自我を確認するものなのだろう。チェテ画家が描いて 付加価値の付けられたタバコは喫煙者の周囲に光芒を放つにちがいない。ただ残念なこと に、チェテ画家の作品は世に残らない。煙になって消えていくのだから。 チェテ画家ともなると、泥のようなトゥブルッコーヒーの残り滓に粘性を持たせるために コンテンスミルクのように飲食可能な液体を少量加えて最適な絵具を作る。コーヒーワル ンで残り滓をタバコに塗りたくる俄か画家が果たしてそんなことまでするかどうか。きっ とその辺りにプロフェッショナルのプライドが湧きたつのだろう。 ラスムにしろトゥルンガグンにしろ、バティック産業が伝統化した土地だ。模様を描くと いう行為が毎日住民の吸う空気の中に醸成されてきた結果コピレレッやチェテが地元民の 間に誕生したという推測は可能なのだろうか? トゥルンガグンの郷土史家は1980年代にチェテが農民の間に勃興したと語っている。 一方、ルンバンでは1930年代にkopi sedulitという名前でクレテッタバコにコーヒー 滓を塗ることが流行したそうだ。ジャワ語のsadulitは指先に柔らかいものをたっぷり付 けることを意味している。そのころはマッチの軸や爪楊枝が使われなかったのだろうか。 それぞれの地方で地元のコーヒー生産者の中に、チェテ用粉末コーヒーやコピレレッ用粉 末コーヒーを売り出す者が出るようになった。コーヒーを淹れたあとの滓がチェテアート の絵具として最高の効果を持つよう、繊細で稠密な濃い泥のようになることを配慮して作 られたものだそうだ。どうもやっていることが病膏肓のように思えなくもない。 チェテコーヒーはコーヒー豆だけの粉末で売られていて、それを砂糖と一緒にカップにい れて熱湯を注ぎコピトゥブルッを作る。そして粉が十分水を吸って下に沈殿してから、上 澄みをすする。それがコピトゥブルッの標準的な飲み方だ。 しかし絵具採取が目的なら、チェテ用粉末コーヒーと砂糖を小鍋に入れて煮てからしばら く時間を置き、下に沈殿したコーヒー滓を取り出すようにイ_ア語ネット記事は勧めてい る。 トゥルンガグン県庁はトゥルンガグンの町創設8百周年を記念して、2005年11月1 8日の夜にグランドチェテ大会を開催した。県下271村2,720人のチェテ愛好家が 集まって県庁前のアッマッヤニ通りで一斉にチェテを行ったのである。それを見物するた めに数千人の県民もやってきて、たいへんな賑わいになった。そしてこの大会でチェテタ バコ32,640本が作られた。県令もチェテの愛好者らしく、芸術的な作品を前にして 大いに喜んだそうだ。 国内のさまざまな記録を収集しているMURI(インドネシア記録ミュージアム)も招かれ、 かつてなかった大規模なチェテ制作大会に新記録認定証を授与し、2006年版インドネ シア記録年鑑に掲載することを約束したそうだ。[ 完 ]