「ノルドヴェイク(8)」(2026年02月08日) コルフ書店の創業は1848年で、最初の店舗はオランダ人のWillem van Haren Nomanが Buiten Nieuwpoortstraat(現在のJl Pintu Besar Selatan)にオープンした。1850 年にオランダからGualtherus Johannes Cornelis Kolffがやってきて共同経営を開始し、 Van Haren Noman & Kolffに社名が変わった。それ以来、事業が伸び上がりをみせるよう になったが、ノマンが病気のために帰国したので社名がG. Kolff & Coに改められた。 コルフは1860年に事業場所を旧バタヴィア城市内に移した。Kali Besar Oost(今の Jl Kali Besar Timur)とGedempte Leeuwinnegracht(今のJl Kunir)の角地に移転してい る。そこからプチェノガンに移ったように推測されるのだが、いつ移転したのかはよくわ からない。コルフは書籍出版だけでなく新聞も発行した。日刊紙Java BodeとBataviaasch Handelsbladはコルフが出したものだそうだ。 1930年にまた社名が変更されてNV Koninklijke Boekhandel en Drukkerij G. Kolff & Co.となったものの、スカルノ大統領のオランダ資産国有化政策で1959年にインド ネシア政府資産にされ、1962年に国有会社PN Gita Karyaに吸収された。 レイスヴェイク・ノルドヴェイク・レイスヴェイクストラートの最高級商業地区には他に も書店が集まり、レイスヴェイクストラートのLange & Co、レイスヴェイク側の小路を入 ったKoningsplein Noord Binnen(今のJl Jl Veteran ?)のVisser & Coなども店を開い ていた。 プチェノガンの語幹であるcenongという語彙はKBBIに採録されていない。ブタウィ語 にあるチェノンは霊的存在に捧げる供物を置く容器を指しているという論があり、また昔 の壁掛け灯油ランプがチェノンと呼ばれていたという異説もある。 1868年にガンプチェノガンに住むオランダ人のトアンEの邸宅が幽霊に憑りつかれて いるという噂が広がった。そのころのプチェノガン通りはゆったりして静かな住宅地区で あり、道路脇を巨木が覆い行き交う通行人もまばらなエリアだった。当時、世間はトアン Eをプチェノガンの支配者と呼んでいたそうだ。 そのころバタヴィアの夜は暗く、住宅地の街路は家の壁に掛けられたチェノンの明かりで おぼろに照らされていただけで、家並みのとぎれた空き地の前は漆黒の闇が占拠し、幽霊 にとって快適な環境になっていたにちがいあるまい。 トアンEの邸宅が幽霊屋敷であるという評判がバタヴィア住民を震撼させているという記 事が1868年8月19日付けSumatra-courant: nieuws en advertentiebladニュースと 広告日報「スマトラ新聞」に掲載された。 ガンプチェノガンにあるトアンEの屋敷で夜になると奇妙な現象が起こるという噂が広が ったために、その噂の真偽を確かめようとバタヴィアのあちこちから市民が馬車でやって くるようになり、馬車が道路をふさいで交通に障害を引き起こし、社会問題になった。そ の現象とは、人間が口を使って出すヒューとかシューとかいった口笛のような音が夜闇の 中で鳴るのである。 特定の場所でだけ鳴り、特定の人の耳にだけ聞こえる、というような現象でなくて、裏庭 で鳴ったあと、部屋の中で聞こえ、二階でしたと思うと家の外でまた鳴る。しかも家の住 人にだけ聞こえるのでなくて、家の表を通る者や幽霊検分に来た者の耳にもはっきりと聞 こえた。 噂が広がり始めたころは幽霊現象を見に来る者が一晩にまだ4〜5人だった。かれらの全 員がその音をはっきりと聞いたので、噂を裏書きする証言者たちがまた噂を広めた結果、 ヨーロッパ人・華人・プリブミの別なく一晩に十数人の見物人がやってくるようになり、 それが数十人に膨れ上がった。そのうちにひとびとは別の音も聞こえたと証言にバリエー ションを加え始めた。ドアをノックする音、ドアを叩きつける音、椅子がひとりでにひっ くり返り、鏡や壁に読めない文字で書かれた文が浮かび上がった・・・・ [ 続く ]