「スカルノのジャカルタ(19)」(2026年02月08日) Kebayoranという地名の由来をbayurと呼ばれる樹種に関連付けている説がもっとも有力だ。 Pterospermum javanicumという学名のバユル材は白アリに強い性質を持っているため、建 築資材として好まれていた。 バユル材をメインにする丸太を集めた貯木場がkabayuranと呼ばれ、バユルやその他の有 用木材が貯木場からクルクッ川やグロゴル川にそのまま投げ込まれていたという話が語ら れている。バタヴィア城市近くまで流れてきた丸太が製材所で拾い上げられてカットされ ていたのだろう。クバヨラン地区は他にもカプッ海岸を河口にするプサングラハン川が流 れていて、陸上交通の未発達だった時代でも物資の積出しは盛んに行われていたと解説さ れている。 一方、地名の由来に関してオランダ語baljuwが元になったという説もあり、それに従うな らバリューのものという意味でクバリュアンと言われていたのがkebayoranに変化したと いうことになりそうだ。バリューというオランダ語は取締役人や代官の意味だが、イ_ア 語の解説では徴税官と書かれている。かれらの本質は同じだと昔のプリブミが見なしてい たのかもしれない。 クバヨラン鉄道駅のすぐ西側にあるクバヨラン市場は現在Pasar Kebayoran Lamaと呼ばれ ているが、ニュータウンのクバヨランバルが建設されるまではラマの付かない、堂々たる パサルクバヨランだった。この市場は1850年ごろ既に賑わう市場になっていて、その 歴史ははるか昔にさかのぼるらしい。クバヨランからさまざまな物資資材がバタヴィア城 市に向けて送られていたころ、そこに物資資材の市が立っていたという話もある。 クバヨランラマという呼び名はクバヨランバルができたために昔からあるクバヨランにラ マが付けられたと思われるのだが、クバヨランバルが建設される前にクバヨランの一部だ ったガンダリア地区やラディオダラム地区はクバヨランバルの中に含まれており、このラ マとバルの区分の仕方はあまり厳密でない印象を感じる。ガンダリアもラディオダラムも クバヨラン〜チプタッ街道から少し東に離れていて街道沿いではないから、ニュータウン の端に含まれることになったのだろう。 クバヨラン鉄道駅の南西で、チプタッに向かう街道から80メートルくらいしか離れてい ない位置に建っているJami Muyassarinモスクは1780年代に建てられたものと言われ ている。オランダ時代にこのモスクはクバヨラン地区住民へのイスラム布教の拠点になっ ていたと考えられており、そのころからクバヨラン地区にはイスラム布教の対象地として 選択されるだけの要素が備わっていたように推察できる。 ムヤッサリンジャミモスクの周辺地区はKampung Penghuluと昔から呼ばれていたらしく、 今はモスクの北側の通りにJl Penghuluという名前を遺している。プンフルというのは統 治行政を行う首長でなくてコミュニティ生活のあり方を指導統制する統率者を指す呼称だ った。慣習分野における統率者であり、行政を統率する機能と一体化することも起こり得 たが、多くのケースで行政首長とは別の存在になっていた。 Landhuis Gandariaと呼ばれるオランダ時代の豪邸がガンダリア地区Jl Rambaiにあったと いう情報がある。現在その場所にはインドネシア共和国検察コミッション事務所が建って いて、昔のランドハウスはすでに消滅してしまったそうだ。ガンダリア地区も西洋人の私 有地になっていたために、ランドハウスには地主の一族が代々住んでいたのではないかと 推察される。[ 続く ]