「ノルドヴェイク(終)」(2026年02月11日)

ところが、廉くてうまいテント食堂にも難点があった。物売りや銭乞いがひっきりなしに
テーブル脇までやってくるのである。ギターを抱いたプガメンがやってきて、多少の口上
を述べてから弾き語りを始める。客がいらないと手を振って示しても、見て見ぬふりを決
め込んで歌い続ける。客が仕方なく100ルピアを渡そうとするとそのプガメンは5百ル
ピアを要求する。これは2000年代の話だから、昔の貨幣価値はそんなものだったとい
うことなのだ。

プガメンの歌がまだ終わらないときに、VCD売りや雑誌売りが商品を机の上に置いて引き
下がる。客にじっくり選ばせようという振舞いだ。客のグループに子供が混じっていると、
雑誌売りは子供向けの辞典まで持ち出してくる。そのあとに続くのは子供向けの玩具売り
や果物売り。市場で売られている状態の果実がテーブルの上に置かれる。もしもそれを食
べたければ果物売りから買い、テント食堂の従業員に皮をむくように頼めばいい。その皮
むき特別サービスが有料になるか無料になるか、わたしは知らない。大勢のグループでや
ってきて、茹でたカニや貝・焼き魚・炒めカンクン・白飯などをたっぷり注文したなら、
「そのくらいはサービスしてくれよ。」と言えば無料でやってくれるだろう。

そういう物売りやプガメンが土日の夜などにはひとつのテーブルに10人くらいやってく
る。その難点がプチェノガンカキリマ食堂街で始まったのは1990年代だったそうだ。
1980年代まで、客は邪魔されることなく落ち着いて食事をすることができたらしい。
わたしの一家は難点のスタート時期を体験したということになる。


プチェノガングルメツアーの目玉はカキリマ食堂街だけでない。目玉がひとつだけでは名
前に負けてしまうだろう。カキリマでないレストランや食べ物屋も営業しており、中には
プチェノガン通りの顔として都内に名前を轟かせている店もある。しかしそれらの店はプ
チェノガンがカキリマシーフードセンターとしての英名を馳せたあとに育ったような印象
が感じられる。なぜなら、それらの店名は昔、耳にしたことがなかったからだ。

昨今の有名どころはBubur Kwang Tung、Lumpia Jakarta、Martabak Pecenonganなどだそ
うだ。2004年にオープンしたブブルクワントゥンはその名の通り廣東風の粥が売り物
で、特にカニ粥に人気がある。場所はレッドトップホテルの北側でプチェノガン通りの西
側に位置している。

ルンピアジャカルタは1965年にオープンしたパン屋が商品を替えて大成功した例の一
つと言われている。場所はレッドトップホテルの対面だ。

マルタバップチェノガンはマルタバッの本場であるバンドゥン出身者がプチェノガンにオ
ープンした本場物だ。最初はmartabak Bandung asli pecenongan nomor 65Aの名前でスタ
ートした。そして今や押しも押されもせぬプチェノガンの顔になっている。この店はルン
ピアジャカルタの北側に並んで建っている。

バトゥトゥリス通りには中華シーフードで有名なレストランがいくつかある。1970年
代前半にわたしが何回かカニを食べに訪れた中華レストランは既に姿を消してしまった。
あの時代の汚くごみごみしたバトゥトゥリス通りの風情が懐かしく思い出される。[ 完 ]