「スカルノのジャカルタ(25)」(2026年02月14日) 1970年代にそのエリアにはボーリング場があったし、映画館Kebayoran Theatreもあ ったように記憶している。映画館と言えば、スルタンイスカンダルシャ通りにBenyamin Theatreがあり、また1972年12月には一階が650座席、バルコニーに426座席という 構成で1,076の観客席を備えた映画館New Garden Hallがパンリマポリム通りを隔てて西側 にオープンし、都心部サリナデパートの北側に設けられたジャカルタシアターに匹敵する 規模の大型映画館として当時のジャカルタっ子の人気を集めた。ニューガーデンホールは ショッピングモールに建て替えられ、その跡地にBlok M Plazaが1990年末にオープン した。 バスターミナルの出発口南側でその区画の北東角地には古くからPasarayaが大型ショッピ ングビルを構えていた。その歴史の始まりは1981年12月のPasaraya Sarinah Jaya の開店だった。 サリナジャヤというビジネスネームは、1974年3月にタムリン通りのサリナデパート ビル3階のテナントになった雑貨店に端を発している。1980年に事業拡大の態勢に入 ったサリナジャヤはその当時インドネシア最大規模の百貨店をブロッエムに建設して19 81年末にオープンした。 その後サリナジャヤの名前は使われなくなり、単なるPasarayaになったあとPasaraya Big & Beautiful、次いでPasaraya Grande、そして今は Pasaraya The Pride of Indonesiaを 名乗っている。一時期、日本の百貨店「そごう」の巨大なロゴがビルの表を飾っていた。 衛星都市クバヨランバルの建設工事が終わるころ居住者人口は増えていたものの、過疎地 の雰囲気はまだまだ強く感じられていた。ジャカルタ市内中心部であるノルドヴェイク・ レイスヴェイク・メダンムルデカ辺りから8キロほどしか離れていないというのに、ジャ カルタ市民はクバヨランバルを大田舎と見なしていた。その当時のジャカルタ市内はバン ジルカナル/ラトゥハルハリ通りが南縁であり、その線から南側は村落部という感触をだ れもが抱いていたのだ。 ジャカルタ市内からその衛星都市へ行くためには、パルメラ〜クバヨラン〜チプタッ街道 を通ってクバヨラン鉄道駅南側にぶつかってくるキアイマジャ通りから入って行くか、あ るいはメンテン地区東南部の外にあるマンガライ鉄道駅からパサルミング街道に入ってパ ンチョラン地区に西からやってくるウォルテルモギンシディ通り〜カプテンテンデアン通 りに曲がるかというふたつのルートしかなかった。スディルマン通りはそのころまだ存在 していなかったのである。 そんなルートの不便さに加えてクバヨランラマには有名なジャゴアンのMat Itemがおり、 通行人を脅して金をせびる。モギンシディ通りは湿地道で歩きにくく走りにくい。そのた めに、素晴らしい住環境の整備された衛星都市に土地と家を買って住むということに関し てジャカルタ市民は迷いに迷った。 ジャカルタ市内との間の公共交通機関はミニバスとオプレッが走っているだけ。それでも CSWからガンビルへ行くのに料金はたったの10ルピアだった。クバヨランバルへ行くた めにジャカルタ市内でデルマン馬車をひろっても、よほど稼ぎの悪かった御者でなければ クバヨランバルにまで行こうとしない。だから、クバヨランバルの住民はどの家も自転車 を持っていた。[ 続く ]