「スカルノのジャカルタ(27)」(2026年02月16日)

都市計画の中でそのような商業センターやパサルを独立した場所に設けて住宅地区と別に
するコンセプトは時代の変化が容赦なく崩壊させてしまった。表通り沿いの住宅が事業所
に転換され、駐車スペースの不足が路上駐車を誘発し、道路を狭めて交通渋滞を引き起こ
す現象は避けようもなく日常化した。

通り沿いの住宅が商店・レストランや食堂・サービス施設・オフィスなどに転用されてび
っしり並んだコマーシャルストリートがあちこちに出現し、都市計画内に設けられた商業
センターやパサルと対抗して新興商業エリアを形成するようになったのである。

Jl Cikajang, Jl Hang Tuah, Jl Barito ?, Jl Iskandarsyah I, Jl Panglima Polimな
どはそんなコマーシャルストリートの代表的なものであり、住宅地区として開発されたク
バヨランバルの顔が商業地区に変身してしまったことを問題視する声も少なくない。


730Haの土地に建設された衛星都市クバヨランバルは2006年時点で1,291Haま
で広がった。行政区画としての南ジャカルタ市クバヨランバル郡の住民人口は14.5万
人を数え、人口密度は11,215人/?と報告された。2024年の最新データでは面積が1,
258Haに縮まり、人口は14.8万人に増えている。

面積が7割増しになったのは、南と北の地域がクバヨランバル郡に含められたからだ。南
はラディオダラムから北チプテ地区まで含まれてPondok Indah地区との境界を成すマルガ
グナ通り〜ハジナウィ通り〜チプテウタラ通りの線が南限になり、北側はスディルマン通
りとガトッスブロト通りの交差点まで伸ばされて南側の三角地帯までがクバヨランバルに
入った。今では、スディルマン通り東側はスマンギ立体交差点までクバヨランバルになっ
ているのだ。

アリ・サディキン都知事がそのエリアに恒久的建物の建築を禁止したため、わたしがジャ
カルタに住むようになったころ、スディルマン通り南東側は税務署などを別にして広大な
空き地が続いていた。1970年代前半にその一画でSate Bloraレストランが簡易な建物
を設けて半ばオープンエアースタイルで営業しており、夜になると広い空き地が車と人で
埋まっていたことを記憶している。

その政策は商業資本の狂乱を抑制してクバヨランバルの商業地区化を鎮静させ、あまりに
も急激な用途転換の歩みを遅らせることと、住環境のバランスを回復させるのが目的だっ
たという解説が述べられている。[ 続く ]