「ジャカルタの墓地(終)」(2026年02月18日) あるとき華人地主が大勢の客を招いて祝祭の宴を張った。オランダ人行政高官も何人かや ってきた。その宴の最中に地主が放屁した。賓客の高官たちが鼻をつまんでじろりと祝宴 のホストを睨んだから、地主は近くにいた御者に罪をかぶせた。事情を読み切っていた御 者は自分の粗相を一座のひとびとに詫びて、外へ出て行った。 祝宴が終わってから地主は御者を呼んでその手を取り、お前のおかげで面目を保つことが できたから、そのお礼に土地の一部をお前に譲ろうと約束した。こうして御者は一夜にし て地主のひとりになったというのがその物語だ。 現在52Haの広さを持つタナクシル公共墓地の一画を占めている2.5Haの土地に関連す る民事訴訟が1994年に起こった。9人の原告団がラジャ・パヌスナン・ナスティオン を相手取って土地権利証書の返却を求める訴訟を起こしたのである。その土地の合計は 3.5Haで、2.5Haが墓地用地に含められており、残る1Haはタクシー会社のタクシー プールになっている。 1993年にラジャがその9人から土地を購入したが、完済されないままになっていたた めに原告団が取引の取り消しを求めたのだ。南ジャカルタ地裁は原告団の主張を認めてラ ジャに証書の返却を命じた。ラジャはその判決を不服として控訴した。ジャカルタ高裁は 一転してラジャの控訴を認め、一審判決を棄却した。すると原告団は最高裁に上訴した。 ところが最高裁も高裁の判決を支持したのである。2005年9月15日に最高裁判決が 文書で全関係者に伝えられている。 するとジャカルタのビンタンビール流通権を握っているラジャの第三妻イラワティ・シク ンバンとフタガルン・ハシホランが、最高裁判決はラジャの所有権を認めるものであるか ら2002年に没したラジャの遺産として自分が受け継ぐ権利を持っていると言い出した。 つまり現在公共墓地とタクシープールになっている土地は自分の所有に帰するものだから 土地を返却せよと言うのである。 ふたりは首都警察本庁に出向いてタクシー会社に不法占拠されているタクシープールの土 地を明け渡させるよう要請し、タナクシル公共墓地入り口に墓地内の区画を売却する看板 を立てた。しかし看板はほどなく公園墓地管理局が運び去っている。 それでも、都庁の公有地である公共墓地の一部を買おうという人間が出現するのがインド ネシアだ。ふたりのところに売り土地に興味を持つ人間が電話をかけてきたそうだが、そ の話はまったく進展しなかった。 都庁墓地管理部門の記録によれば、係争されている土地のある区画は1992〜1993 年に拡張された墓地に含まれているそうだ。都庁はPTドゥタブアナプルマイデヴェロップ メントとの間でタナクシルにある同社所有地とカレッテンシンの2.4Haの土地を等価交 換してタナクシル公共墓地を拡張した。ドゥタ社は都内中心部の一等地にコンドミニアム を建てた。都庁担当者によれば、ラジャを告訴した9人はラジャに売る前にドゥタ社に土 地を売っているとのことだ。 タナクシル墓地には、インドネシア共和国初代副大統領モハマッ・ハッタの墓所がある。 1980年にかれが没したとき、かれは英雄墓地でなくタナクシルに葬るように遺言した。 ジャカルタの大改造を行ったアリ・サディキン都知事もタナクシルで眠っている。 やはりジャカルタ都知事を務めたアニス・バスウェダンの祖父ARバスウェダンも国家英 雄のひとりであり、ハジ アグッ・サリムが組織した外交チームの一員だった。他にも文 学者のブヤ・ハムカの墓がタナクシルにある。[ 完 ]