「pecinanはジャワ語(1)」(2026年02月19日)

インドネシア語で華人街を意味するプチナンという語彙はKBBIに採録されている標準
インドネシア語だが、元々はジャワ語の中で形成された語形がそのままインドネシア語に
なった。ムラユ人は同じものをKampung Cinaと呼ぶのが普通だ。とは言っても、今やヌサ
ンタラのどこへ行こうがジャワ人がたくさんいるからプチナンという語彙がどこでも使わ
れるようになって、挙句の果てにインドネシア語になった。

わたしの使っている華人街という日本語はインドネシアにあるチャイナタウンを意図して
おり、インドネシア語のプチナンに対応させているのだが、中国人自身は海外にあるチャ
イナタウンを華人街と言わず唐人街tang2ren2jie1と言っているようだ。同義語に中国城、
華埠、中華街などがある。

華人という言葉を中国人は漢民族の血統とアイデンティティを持つ人間集団と定義したた
め、中国本土であろうが海外であろうがその居住場所を問わないので、わたしの意図して
いる「インドネシアにあるチャイナタウン」とは意味がズレてしまう。中国語では北京や
上海や天津にある町のすべても華人街の定義に当てはまってしまうからだ。


pecinanというジャワ語にはCinaという民族名称が使われている。この語彙の構造分析を
するとpe-Cina-anとなる。中華人民共和国政府からのCina廃語要求を受けてSBY大統領
が2014年3月に大統領決定書を出し、行政機構に対してCinaの使用をやめてその代わ
りに国名をTiongkok、人種や文化にTionghoaを使うように命じた。

その対応は公式文書からチナというインドネシア語を追放しただけのものであって、国民
に対して使用を禁じたわけではない。チナという言葉をしゃべろうが書こうが、国民は国
家行政から罰せられたり悪者にされることはないのだ。国民に対して政府はその問題を良
識と礼節の範疇に投げ込んだのである。

一部マスメディアは政府の立場をサポートするためにCinaの使用をやめた。ところが政府
の言うティオンコッ・ティオンホアを使うかというとそれもせず、ただ一文字/h/を付け
加えただけだった。自らの裁量でCinaから綴りをChinaに替えたということだ。Chinaを読
者がどう発音しようが、それは自由ご勝手なのである。

Chiという綴りはインドネシア語正書法に存在しないから外国語として扱わざるをえない
のが一般的な言語感覚になるために、英語として扱いたいひとはチャイナと読めばいいし、
ドイツ語・オランダ語として読む場合はインドネシア語と同じチナという発音になるだろ
う。スペイン語・ポルトガル語派ならば日本語と同じシナという発音になりそうだ。かつ
て1967年まで続けられた綴り方の中に/ch/が使われていたから、老人の中にはルーマ
ニア語のようにキナと言うひとがいるかもしれない。

だがそんな時代を知らない世代はあくまでもインドネシア語としてChinaをCinaと同一視
するひともいるだろう。インドネシア語の中に発音されない/h/が出現するケースは少な
くないのだから。たとえば:
hilang → ilang,  tahu → tau,  gajah → gaja,  hujan → ujan,  lihat → liat,  

"Ah, bo'ong..."という若い娘の媚言を耳にした経験が読者にはきっとおありだろう。か
の女はAh, bohong.をそう発音しているのだ。


結局、日本では中国からの支那廃語要求を国民が一丸となってうけたまわり、誠心誠意を
もってその要求に従ったように思われるのだが、イ_ア人の行ったこのしたたかさはどう
感じられるだろうか?

Cinaの語は国民の言語生活から消滅することもなく、KBBIには依然として標準語彙と
して採録されており、プチナンという語も生き続けている。インドネシアで一般庶民と中
国に関する会話をイ_ア語ですると、かれらの口からチナという言葉が何の気おくれもな
い語調で聞こえてくる。何百年も前からそうであったようにひとびとの言語生活の中には
チナという言葉が使われ続けており、勢いが弱まったり、ましてや消滅するような雰囲気
などまったく感じられない。

インドネシアの公式書類とマスメディアからCinaという綴りが消えただけで中国政府の廃
語要求は本当に目的を達成したのだろうか?廃語要求ということがらの中身はそんな程度
のものだったのだろうか?[ 続く ]