「スカルノのジャカルタ(31)」(2026年02月20日) スマンギ橋のランプ式インターチェンジを上から見ると四葉のクローバー形をしているの でsemanggiという名前が付けられたという語源説があり、またそのエリアがスティアブデ ィ郡カレッスマンギ町だったからという説もあり、そしてその丘にクローバーがたくさん 生えていたからという説まで出されて賑わっている。 スマンギ橋立体交差の建設工事に関連して公共事業省内でスタミ技師とロセノ技師の間に 論戦が起こった。橋の支柱をスタミは?字形にするよう主張したが、ロセノはコンベンシ ョナルな柱型を主張して譲らない。そんなときのある夜、タムリン通りのサリナビルとス カイラインビルの間に架けられている陸橋が倒壊した。その陸橋の柱がコンベンショナル タイプだったために、スタミの支持者が増えて結論に到達したという話を書いている記事 がある。ランプ式インターチェンジそのものの発案がスタミのものであり、スタミがスカ ルノ大統領に直接かけあって承認を得たという論説も見られる。省内プロジェクトチーム の意見をスタミがリードしたということを言っているのだろうか? 工事は1961年に開始されて1962年に完成した。そのころスマンギ橋立体交差点近 辺にはバティッ協同組合連合ビル(通称GKBI)とBRI銀行タワーそしてジャカルタ 病院があったくらいだったが、1970年代にはヒルトンホテル・首都警察本庁・アッマ ジャヤキリスト教大学・プラザスマンギ・グラハプルナユダ・バライサルビニなどがそれ ぞれの位置を占めていた。ヒルトンホテルは1973年にオープンし、2006年に今の The Sultan Hotelに名前が変わった。 スマンギ橋立体交差も、増え続ける交通量が引き起こす交通渋滞を緩和する力が弱まった ためにガトッスブロト通りから交通量のより多いスディルマン通りに向けて分岐路を増や すことになり、既存の立体交差の上にもう一層高いランプ路を建設することが決定された。 建設工事は2016年4月8日に開始されて、2017年8月17日に新ランプ完成式典 が催された。 グロゴル方面からクバヨランバルに向かうランプIが全長706メートル、マンパン方面 からブンドゥガンヒリルに向かうランプ?に全長826メートルという長いランプウエー が作られ、幅9メートルで2車線のランプウエーが既存の交差点の上を半ば旋回しながら 地表へ降りていくのである。 第4回アジア大会がジャカルタで開催されることが決定してから、1953年に作られた タムリン通りに手が加えられた。道路幅がスディルマン通りに合わせて拡張されたという 情報が見られる。50メートル幅で高速と低速車線間を分離帯が隔てている構造がスディ ルマン通りの建設に使われたために、タムリン通りも同じスタイルに作り直されたのでは ないかという推測がわたしの脳裏にたゆたっている。 オランダ時代に作られた広い道路の中にそのような構造をしているものはなかった。モー タリゼーション時代が幕を開くずっと前の時代だから、そんなコンセプトと無縁だったの は言うまでもない。タムリン通りがオランダ時代のスタイルを踏襲して1953年に造ら れ、1960年代初めにスディルマン通りに新しいコンセプトが適用されたために、それ がタムリン通りにも使われたことが想像されるのである。 タムリン通りにはまた、十字路ごとにロータリーが作られ、彫像や時計台がロータリーに 飾られたのがその時期だった。だから現在の姿のタムリン通りができあがったのは196 1〜62年であり、スディルマン通りと一緒に作られたと表現しても間違いにはならない ように思われる。[ 続く ]