「チェンテン(2)」(2026年02月27日)

ライター: 短編作家、レイニ MP フタバラッ
ソース: 2013年6月28日付けコンパス紙 "Lebih Jauh soal Centeng" 

5月17日のこのコラムに掲載されたスナルヨノ・バスキのチェンテンという語に関する
論は興味深い。チェンテンとマンドルはどちらも監視人でガードマンという同じ機能を担
う仕事であるにもかかわらず、東ジャワではチェンテンの語が知られていないとかれは言
う。東ジャワではcenteng pabrikやcenteng tebuでなくてmandor pabrikやmandor tebuが
使われているのだ、と。そうだろうか?

あるソースによれば1889年に、バタヴィアのとある新聞にチェンテンの求人広告が掲
載された。バタヴィアの歴史にはSi Pitungのようなjagoanストーリーも数多い。西ジャ
ワではjawaraがジャゴアンに対応している。

国語センターKBBIはジャゴアンの意味を
・orang yang suka berkelahi
・pendekar
・samseng
・orang yang sangat gemar sesuatu (misal: pesta)
としており、一方ジャワラの語義を
・pendekar
・jagoan
と解説している

現実にはジャゴアンもジャワラも犯罪と暴力にまみれたbandit(賊)なのだが、民衆の側
に付いていたために統治行政支配者から煙たがられていた。ジャゴアンもジャワラもチェ
ンテンやマンドルの職に就くことがある。


チェンテンは中国由来の言葉であり、その意味はtukang pukul(用心棒)だ。中国語をた
くさん摂取したブタウィで使われはじめてから、通商と農園事業の進展につれてジャワと
スマトラの諸地方に広まっていった。オランダのデンハーグで1931年に出版されたM
Hセケリー・ルロフスの小説「Kuli」は1985年にGraffiti Persがインドネシア語訳
を出版している。その作品の中でチェンテンは北スマトラのデリにおける農園マンドルで
ありpolisi perkebunan tuan besarであると語られている。

ぺペン Sp ワルダナ著「Centeng: Matahari Malam Hari」はヨグヤカルタのパサルクンバ
ンにいるギギという名のチェンテンに関する実話を素材にした作品だ。プラムディヤ・ア
ナンタ・トウルの「人間の大地」に登場するダルサムの身分はプンデカルと述べられてい
る。ダルサムはマンドルでなくてニャイ オントソロのチェンテンだったのである。

17世紀のバタヴィアでオランダ人地主が所有する奴隷の仕事を監督するのがマンドルだ
った。その語源はポルトガル語mandadorだ。KBBIはマンドルの語義を:
orang yang mengepalai beberapa orang atau kelompok dan bertugas mengawasi 
pekerjaan mereka dan karyawan biasa yang tugasnya sama dengan tugas karyawan 
yang lain, dan di samping itu merangkap tugas pengawasan atas rekan-rekannya
と説明している。

植民地時代からマンドルの地位はチェンテンよりも上位に置かれていた。現代の工場でマ
ンドルは一般作業者より一ランク上のステータスにあり、一般作業者の仕事を監督するの
がその役割だ。農園やホテルにもマンドルがいる。そしてマンドルの中には単なるmandor
だけでなくmandor kepalaあるいはmandor besarがいる。マンドルの求人募集はいまだに
世の中に流通しているのに反して、チェンテンの求人はもう見られない。


国家警察の訓練を受けたサッパムやセクリティがサプライ会社から派遣されてくるのに対
してチェンテンはまったく個人的な存在だ。今でもジャワやスマトラの大都市にチェンテ
ンたちが存在しているとはいえ、18〜19世紀のような威勢はもう見られない。港湾や
紅灯街にcenteng pelabuhanやcenteng tempat hiburanがいることはよく知られている。

チェンテンの職業倫理は昔ながらの、金を払う者に味方し保護するという原理で構築され
ている。そこに比喩的語法が育まれる。腐敗実業家やブラック財界者を保護する将軍・兵
隊・政府高官らもその原理で動いているためチェンテンに属すのである。[ 続く ]