「スカルノのジャカルタ(40)」(2026年03月01日)

1962年8月5日に行われたホテルインドネシアオープニング式典に合わせてガネシャ
ウイングの稼働も始まった。その年8月24日から9月4日まで催されたアジア大会の期
間、ホテル側は総客室数の9割を外国人宿泊客に割り当てた。ホテルの経営責任は国有会
社PT Hotel Indonesia International (HII)が担った。

長い歴史の中でジャカルタを訪れた国賓級の人物がホテルインドネシアに宿泊した。
1962年カンボジャの国家元首ノロドム・シアヌーク殿下
1964年フィリピン大統領ディオスダド・マカパガル
1967年11月には米国のハンフリー副大統領が宿泊し、40人のシークレットサービ
ス担当官がホテル内をものものしく警備した。
1972年グループシンガーのビージーズ
1973年ボクシングチャンピオンのモハマッド・アリ
ジャカルタでの試合に訪れたアリは7階の数室をチャーターした。空港から到着して部屋
に入る際に、廊下にいたベルボーイを相手にしてボクシングの真似事を行ったそうだ。ホ
テル滞在中、アリはたいへんフレンドリーだったと語り伝えられている。
1995年オランダのマキシマ王妃
2003年タジキスタン大統領エモマリ・ラフモン

それら世界の表舞台に立つ著名人にふさわしいクオリティを備えるために、スカルノはホ
テルインドネシアの中に高い芸術性を燦々と散りばめることを行った。芸術の高雅さ高貴
さを識るスカルノのアートディレッタンティズムはかれをインドネシア人芸術家のパトロ
ンにしていたのだ。1946年以降の独立革命の時期から、スカルノはインドネシア人芸
術家たちと深いつながりを築いていた。

ホテルメインゲートの脇には彫像家トゥルブス・スダルソノ制作のDewi Sriの像が表に立
って到着客に祝福を与える。中に入るとニョマン・ヌアルタ制作の三本の紅白旗が民族を
代表して歓迎の心を表明する。

ホテルロビーの入り口に近い場所に掲げられている石のレリーフはバリ島の伝統的な祭り
の様子を表すPesta Pura Baliと題する大作だ。ハリヤディ・スモディジョヨの率いるヨ
グヤカルタのスラビナグンアート工房の27人を超えるメンバーたちが1961年12月
20日から1964年4月20日までの歳月をかけてそれを作った。

ホテル内の随所にハイクオリティでハイセンスなアートがあふれんばかりに置かれて、ホ
テルが美術館を兼ねたようなものになった。ヌサンタラのさまざまな民族舞踊をテーマに
したグレゴリウス・シダルタのモザイクが壁を埋め、Gadis-gadis Bhineka Tunggal Ika
と題するスロノの壁画がホールを飾っている。トゥルブス、スリスティヨ、サプトトたち
の手になる彫像もあちこちに置かれている。

それらのすべてはスカルノ自身が目を通して承認を与えた作品だ。ホテルに飾られている
インドネシア人アーチストの芸術作品は名高いスカルノコレクションの一部を成している
と言うことができるだろう。

ラマヤナルームには、大統領宮殿専属画家リー・マンフォンのPuspita Margasatwaという
インドネシアの動植物をテーマにした大型作品が掲げられた。4x10.85メートルの
その作品はリー・マンフォンが生涯に描いた最大の作品であり、インドネシアの海と大地
に棲息する生き物がたくさん描かれて、インドネシアの大自然の豊かさを誇る内容になっ
ている。つまりはスカルノの誇るインドネシアの豊かさをリーに描かせたものということ
になる。スカルノは毎週一度、作品の進捗状況と制作者の様子を見るためにリーのアトリ
エを訪れていたそうだ。[ 続く ]