「スカルノのジャカルタ(44)」(2026年03月05日) ホテルインドネシアの建設と同時に、ホテルの面しているメインストリート接続部に大型 ロータリーが建設された。スカルノはロータリー中央部にインドネシア風おもてなし精神 を象徴するアイコンを設け、ロータリーの中を噴水池で飾ることを計画した。 インドネシア人は国際社会にオープンな民族であり、友好親善の気持ちを抱いてやって来 る客人は誰であっても、その来訪を歓喜の心で迎える人種なのだという人間観に支えられ た社交精神を形にしたアイコンがそれだ。 歴史の遠い昔からヨーロッパ人がはじめてヌサンタラにやってくるころまで、アジアの東 から北から西からやってくるひとびとに向けていたヌサンタラの顔がそれだったのである。 インドネシア人の本質がそれであり、古来から行われてきた通商活動の中にそれが明瞭に 反映されていた。歴史の最初から人間と文化の交差点になっていたインドネシアは通過す るあらゆるものを受け入れていたのだ。 建築中のホテルインドネシア建物を1961年に撮影した写真がある。ホテルの前の広い 直線道路の接続部に大きいロータリーの建設が同時に進行している光景がそこに映ってい る。ロータリーのセンターから少し東に寄った位置に背の高い並木が何本も並んで残され ているのが見える。1953年に作られたタムリン通りの幅がそこまでだったことをそれ が示しているように推測される。 そのロータリーは差し渡し100メートルというサイズで作られ、幅10メートルのプラ ザが円周を形作り、その内側を直径80メートルの噴水池が満たした。池の中央にアイコ ンの塔が建つのである。 ジャカルタ市民がBundaran HIと名付けたそのロータリーとアイコンの塔は間違いなく第 4回アジア大会のために作られたものだ。参加諸国のデレゲーションがジャカルタに到着 した際に必ず通るジャカルタの都市センターに、来客への歓迎を表明するために設けられ たものなのだから。 ブンダランハーイーは直訳するとホテルインドネシアロータリーとなる。ロータリーは道 路に付属した設備であるというのに、ホテルのものにされてしまったように解釈できる。 それほどブンダランハーイーはホテルインドネシアと強く結びつくものになっていたのだ。 歓迎の塔はホテルインドネシアを訪れる客を歓迎する塔になった。なにしろHI自体が食 事して寝るだけのありふれたホテルでなかったのだから。 だがしかし、それでは論理的におかしい点が出現する。ホテルに来る訪問者を迎えるので あれば、ホテルの表門でホテルに背を向けて立つのが常識的な姿勢になるだろうが、塔の 上に立つふたりの青年男女はタムリン通りの北の方角を向いて手を挙げているのだ。その 方角にはメダンムルデカがあり、そしてもっと先の北東方向に当時のジャカルタ国際空港 クマヨランがあった。ふたりはその方角からやってくる客を招いているように見える。 クマヨラン空港で入国した外国からの客人がグヌンサハリ通りを経てヴェルテフレーデン の北端をかすめ、メダンムルデカ通りを通ってタムリン通りに入る。そしてタムリン通り を下るうちに道路の正面に大きなロータリーが立ちふさがり、ロータリーの上に置かれた 男女の像が手を挙げて「ここへおいで」と招いている姿が目に入る。「ここ」とはホテル インドネシアでなくて、インドネシアの首都ジャカルタの都市センターを意味しているよ うにわたしには思われる。 歓迎の像の具象化は、スカルノがアイデアを語ってヘン・ガントゥンがそれをスケッチ画 に描く方法で行われた。そのできごとは1959年に起こった。ヘンが描いてスカルノが 承認を与えた構図は、一対の青年男女が並んでそれぞれ右手を高く掲げ、身体を少し伸び 上がらせ気味にしながら遠くに見える客人に歓呼の叫びを挙げており、ふたりの顔にはう れしさが満ち溢れ、女性は左手に歓迎の花束を握っているという内容になっていた。 青銅の鋳物で作られた重量およそ5.5トンのこの像は人体の頭から足までが5メートル で、挙げた手の先までだと7メートルになる。像を乗せる台座の塔は23メートルだから、 全体は高さ30メートルのアイコンということになる。[ 続く ]